歌碑の類は数々あれど 信長の歌碑 信じません長篠

昨日は某歴史教室のご一同さまが来訪。

本題は拙寺本堂の相良城リサイクル材の証、床下のほぞ穴のある木材の見学でしたが、本堂にて私の「つまらない話」のひとつふたつ・・・相良と当山の歴史について全一時間弱ですがお付き合いいただきました。

 

相良城や田沼についてのイベントは「コロナの時間」によって尻切れ蜻蛉となり消化不良の感、否めませんが拙寺としては学習会等の依頼があれば、スケジュールさえ合えば協力、OKサインを出すことにしています。

よく言う、「観光寺ではありません」とか「参詣参拝の施設です」等の「あたりまえの事」「宗教的方向性と違う」を理由にお断りすることはしません。

以前ブログでも記しましたが「宗教施設だから静粛に」などと怒るなどしません。これは私ども家族で某寺院に墓参りに行ったときのことで、おしゃべりしていただけでどっ叱られたことがあったのですが、拙寺はわいわいがやがやの楽しい仏との接し方がお薦め。

 

すべてが「縁」の中で生かされている身です。

如来には摂取されることは約束されていますので、お寺でも外の人、宗旨、宗派、宗教行事に関わらず受け入れていこうと奮発することが肝要。

できるだけ「阿弥陀、善知識の真似事」がしたいと、気張っていくべきですね。

 

 

今一番に信じられないというものは、アベノマスクによって知りえた為政者のお頭の中身というものもそうではありますが、今、何よりロシアって一体・・・というところです。

これから日本の行く末、待ち受けているコロナ六波の悲惨の予想は、ちょっとばかし棚の上に置いておいて・・・今のところ「他人事」ではありますがロシアがコロナに翻弄されている現状の唖然。

新規感染者1日40000人、死者1日1000人といいますから、今の日本とは雲泥の差。だいたいその数字に異常を感じます。

「どうしてこうなの?」という単純疑問は残りますが、あくまでもロシア国内の事。

冷たい言い方ですがどうにもなりませんからね。日本とは違う多種事情が重なっていますから。

 

しかしながら海に隔てられているとはいえ地理的に隣接している国です。一旦門戸を開けばそれらの株がどのように変異して日本国内に浸潤してくるのか、「そのとき」の対応は「大丈夫です・・・」というのも信じられないところの二番目。

まぁワクチンと軽症のうちに飲ませる経口薬の登場という楽観があるのでしょうが。

 

また往々にして「楽観」は根底から覆されるというのも常ですからね。

それにしても「ロシアって何?」と思う今の私の軽口。以前の緊張感など消え失せてしまいました。

昨日の境内には「久しぶりに川崎から・・・来ちゃいました」とお墓参りの方が。

私も境内作業中でノーマスクの無礼について謝りましたが、ついついそれを忘れがち。まぁ境内での一人仕事でそれを付ける気にはさらさらなりませんがね。

 

さて、いつぞや記した長篠戦の信長の本陣、というか例の馬防柵背後の山と一つ平地を隔てた茶臼山の頂上の陣ですね。

新東名下り長篠設楽原S.A.からスグという立地になって極行きやすい。

こちらからは激戦地の状況は窺えません。

戦闘とは隔絶したとは言えませんが、かなりの余裕の域に入ったか信長が詠ったといわれる歌碑がありました。

 

あの長篠の信長のイメージといえば鉄砲の音、硝煙の臭いと馬の断末魔の鳴き声そして血の赤です。

ところが信長が詠んだといわれるその歌は・・・ 

 

 「きつねなく 声もうれしく きこゆなり 

                 松風清き 茶臼山かね」

 

私もコレは「何のこっちゃあ」・・・。

この自然を愛でる心情とは・・・コレも今一つ信じられないものの一つです。

 

こちらの歌碑の背後、S.A.駐車場と本線の向こう側の山の東が秀吉の本陣になります。

また、そのさらに北東(設楽原本戦地の北側)が鳥居強右衛門が「無事脱出成功した これより岡崎に向かう」の狼煙をあげたといわれる雁峰山。

長篠城籠城組はそれを見て歓喜し歓声をあげたといいます。

 

この地にはS.A.に寄ったとき気分次第で階段を上がります。

 

10月30日19:30~NHKブラタモリは何故か、何故か・・・、

「三英傑 信長・秀吉・家康 スペシャル」と。

小和田先生ブログから。

世の中「突飛なこと」多し。