法事の「三昧」の空間に厄介なスピーカーからの大音聲の週間がついに始まりました。
今回は本堂の真裏、以前弁当屋があったピンク色の小屋に選挙事務が入ったため、その初日となる昨日は特に気がかりでした。
初日は出陣式がありますので往々にしてそれはお義理の来賓ご挨拶などが続き長くなることは必至。
拙寺の法事直前にそちらを見やればこれまで見たこともないようなたくさんの人だかりが駐車場に。これは案の定「法事どころじゃ」・・・といやはやの感。
9時40分くらいから「ご近所の皆さんには申し訳ありません」とは言いながら強烈な拡声器マイクからのトークが始まってしまいました。
堂内の読経がかき消さかねませんので私も単純、ついついそれに張りあって大声をあげがちになるのでした。
施主より時間(10時)前だが「始めてください」とのGOサインが出て、開式前の喚鐘を叩く力が普段の倍化。無意味な対抗心を発していました。
気合を入れて、気持ちだけでも負けないよう堂内だけでもと。
結局のところその強烈な騒ぎは10時前後でお終い。
拙寺法事の頭の部分で消えて無くなりました。
街宣車がどちらかに発したということでしょう。
その事を知っていたのなら10時30分開式にしていれば・・・などと地団太を踏んだ次第。
今回は菅山地区の議員(檀家さん)が引退して立候補者がナシ。
大江地区も不在のようでその2地区は相良の他の候補者が集中する場所(・・・草刈り場)と言われています。きっとそちら方面に向かったのでしょうかね。
以後結構に静かな波津の街区でした。
私など、街宣活動の有無に投票行動の差はナイと考えますので「無駄」を思いますが一つの祭りのようなものなのでしょうね。その頻度をもとに投票しようという有権者はある程度はいるようですが・・・
法要は血管がちぎれるばかりの大声を張り上げましたので最後の御文の拝読中、ふっと目まいが・・・
脳梗塞か何かに突然みまわれて、このまま御文を戴くように突っ伏してしまうのではないか・・・などとも思いを巡らしながら拝読していました。
大昔、相良市場地区にかつて開業していた御門徒さんの医院の医師が診療中に亡くなったという件思い出しました。
亡くなるその時まで「聴診器を離さなかった」ですね。
苦しむこともなくす~っという具合に。
そこで私があの「白骨の御文」、「朝には紅顔あって 夕には・・・」とばかりにすーっと息絶えたとしたらさぞかし「伝説」になるのでは?などとニヤっと。
坊さんとしては有難くまた死にざまとしては奇特なことです。
さて昨日の壬生寺。
文久三年九月十八日と時期を違えず同じ場で斬殺された芹沢鴨と平山五郎の墓。
この墓は平成24年に再建されたものです。経緯は⑥の通り。
墓石としての面白味よりもあまりにも空しい死にざまに名が残る二人が並んで記されているところがポイント。
やはり近藤の差配での暗殺というのが定説です。
コメントをお書きください