御門徒さんの奥さんの実家のお爺さんが103歳で亡くなったそう。
拙寺でもここのところご長寿の方々の逝去が続いていますが大正生まれの存命といえば本当に珍しくなってしまいました。
先般の立ち話で「私の父はすこぶる元気」という方が。
元気で快活な100歳を讃えていました。
思わず「スゴイ!!」と唸らされたのが「まだ運転しているよ・・」でした。
あの池袋の事故の件以来、高齢者の免許返納が一気に増えたことは誰もが知っていること。それでも周囲からの心配をものともせずミッション車のハンドルを握っているとのこと。
その話を一緒に聞いていた女性が「え~オートマでなくて・・?」と再度驚いていましたが私は「だからイイのでは・・・」と口を挟みました。
ミッション車であれば走らせるためにオートマ車とは比較にならないくらい余計に神経を使うもので、何よりエンストしてくれます。暴走するにもクラッチを踏んでシフトアップしなくてはなりませんので、踏み間違いのトラブルには早くに気づくはず。ということでアクセルを踏みっぱなしでミサイルの如くにスッ飛んで凶器になるようなことはまずありませんから。
しかし「いくら何でも心配」との声も上がって当の本人は最近になって返納を口にするようになっているとのこと。
その判断ができるということも頭がハッキリしていることですが、その方の100歳の誕生日祝いの画像を拝見してまたびっくり。爆笑している絵でしたが白い歯が光っていました。
これは・・・と思って確認すれば、「80歳の時に褒められた」と。8020運動(80歳で20本の歯を保つこと)の達成で歯科医師会からの祝いの言葉があったといいます。
それどころか「10020」というのには実に圧巻です。
ここまで凄さを見せつけられて是非にその背中を追いたいものだと余計な事までチェック・・・。
やはりタバコと酒の習慣はないとのこと。
100歳のお誕生日を一族で祝ったそうですが、どうも腑に落ちなかったことが。
市町の長に県知事からのお祝いの品が到着済みの中、例の「内閣総理大臣」からの賞状と贈呈品は誕生日の過ぎた10日後に届いたとのこと。
そしてその品物に貼られた熨斗のタイトルが「老人の日」とのこと。その方はそれには特に「違和感がある」と。
この名称については「敬老の日」の祝日をこれまでの「9月15日」から分けることになったというか、その「9月15日」にも「祝う」という意義そのものを残すために無理やりそれを銘々、似たような名称として作ったものです。それが「老人の日」。やっつけ感満載の名です。
そう言われればその語はテキトー過ぎてそれでいて敬意もへったくりもないまったくオカシな言葉だと思います。
上から目線というか1回決められたことだから意地でも続けるといった姿勢。自分がそれを言われればショックを受けるクセにね。
「何それ・・・」と思うばかり。
言葉尻を捕らえるようで申し訳ないですが、その言葉は今あまり、使いませんよ。
特に仏教世界では四苦八苦の四苦の一つ「老苦」です。
「苦しみの人」にも見えてしまいます。
まぁ役人の発想。一言で「センスがない」のかも知れませんがもう少し国民に「気を遣え」というのがその違和感です。
まぁ100歳の祝いをお国から頂戴することなど稀の中の稀の奇特。
大抵の方はそんな疑問にまで辿り着かない、関りのないことでしょう。
ちなみに内閣総理大臣の名は・・・?などとつまらない質問をすれば「ガースー」だったそう。
本日の画像は昨日にひきつづき忍辱山墓地の名号板碑ほか阿弥陀さんらしき石仏。
摩滅の激しいものは地蔵なのか阿弥陀なのかハッキリわかりません。
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