転がって埋まる?の如く地蔵の姿 忍辱山墓地 

暑くてイイ天気が続きます。

本来ならば5日6日は拙寺のバス遠足の予定でしたがコロナ禍世間により再再再順延のうえ中止にしていました。

中止になっていなければ、この晴天の下京都市内から南山城の浄瑠璃寺に岩船寺そして円成寺の散策を楽しんでいたはずです。

 

その3つの寺は奥方も息子も行っていますが、「この天気は勿体ないねぇ・・・」。

実は昨日3人で久々吉田町の「さわやか」にて食事をした際に出た言葉です。

 

京都納骨行脚は息子が留守番に来ることになっていましたが、中止につき一旦は断るも息子はようやくワクチン接種の順番が巡ってきてその1回目の日が昨日でした。

前夜遅くに帰宅し、昨日午前に打って昼食後スグに横浜に帰っていきました。

1回目ですからまた3週間後に2回目を打ちにやってくることになります。

 

「しかしまぁ・・・コロナにヤラれずにここまでうまくやってきたもんだ・・・」と感慨深く呟くと、息子は「ひょっとすると既に感染していて、たまたま症状が出なかったのかも・・・」と言いますがそれは違うでしょうね。

無症状感染者は当人が何ともなくとも他者、社会への感染源となりますから。周囲で感染者が増えるはずです。

彼がお世話になっているお寺ではコロナ感染者はいないといいます。

 

私はそんなとき「阿弥陀さんのおかげだ」とは会話の中に入れなくては気が済みませんのでその有難さを強調するのですが、彼もその件、本当に不思議だ・・・と言っていました。

彼の動き回るエリアでは比較的遠方に散らばっていますが、回忌法要となれば自宅お内仏前というのが主流になります。

あのコロナ全盛の7~8月頃であっても自宅仏間にお邪魔しての読経ばかりだといいます。

 

法要後となればお茶が出て、時節柄コロナの話題ばかりといいますが、「一番ビビった」というのは「うちは家族全員コロナにかかって先日まで自宅でダウンしていた」とぶっちゃけられたこと。「内心大丈夫かよ・・・」と思いつつ帰宅したそうですがやはりご先祖様への快癒の御礼の法要だったのでしょうね。そう考えると「逆に安心」とも。

 

先日のお宅では「うちはワクチン打たない主義」と豪語されてそれもまた「大丈夫かよ・・・」と。

人それぞれで色々な人がいて楽しそうです。

また豪快なお金持ち感漂うお宅にもお邪魔するようで、横浜みなとみらいの高層マンションからの絶妙な景色を見させていただいたことに痛く感動していました。

 

若いので待遇に少々の不満があったとしてもそんな経験は滅多にできないことばかり。「人」との触れ合いを重ねることは貴重です。

よって「有難き感謝すべきこと。先方にはお育ていただいているのだ」と強く言い聞かせました。

 

その件、息子は神妙な面持ちでハンバーグに喰いついていましたが、前述の京都奈良のお寺の件-そのすべて奥方も息子もかつて行っていますので話は通じますー成寺近くには忍辱山という墓地があって「そこにはみんな行ってないよね~」と振りながら一つ能書きでもと思いきや「そりゃあ結構・・・」とつれない態度。

二人とも墓地の話は嫌いのようです。息子は墓参りは「仕事」ではありますが毎度のことだけで十分とのこと。

以前はムリに各所に連れまわしましたそっち方面への興味はまだまだ湧いてこないようです。

 

その忍辱山墓地の地蔵石仏を。

私はこの中でも法面の下、おそらく転がって埋もれて顔を出しているかの如くの石仏に趣を感じました。

きっとやはりその姿に感銘した方がいるのでしょう花立てが差されてスポンサーの存在があり、参詣の対象になっていることがわかります。