宝島社の朝刊見開き広告と黒にんにく醸成の一手間

「経済と両立」なる言葉が蠢きだしましたが、どうもそれ、詭弁の如く感じてしまいます。

「経済も命にかかわる・・・」などとも必ずその語のあとに続けられますが、私がそんな時にパッと思うのが「命あっての物種」・・・。

 

どなたでも知っていることですが新型コロナは苦痛を伴いながらの死ぬ・・・というところ(昨日はトーキョーで18人が)。

実際、感染者が減少していても確実に毎日どこかで亡くなっている人がいるわけで・・・コレ現実です。

 

巷では「ワクチンを2回打ったから」の大丈夫の風が吹きまくり「接種証明」を出して「GO!!」の如く。

イケイケ政策の緩和雰囲気に乗っかったのか、昨日の秋分は朝から東名高速大渋滞の図。

各観光地も大層な人出で溢れていたよう。

 

よくもまぁ「次の波」への対策もままならないで解除の甘い話を吹き、折角引き締まっていた社会を緩ませるられるのか・・・

「まだ早い・・・」の感でいっぱいです。

「出口戦略」等のかっこイイお体裁話もその類。

 

お国はワクチン接種が効果があったと主張しますが、息子をはじめ私の首都圏在住の友人2名もまだ1回目のワクチンすら接種できていません。

11月までに全国民希望者に・・・といいますがね・・・

 

だいたいブレークスルーの無発症感染者が市中闊歩し、それを基にした変異株が出回ることを予測しているのかいないのか、知っていて知らぬフリをしているのか、それとも相変わらずの無知・無能なのか・・・もっと慎重なアナウンスができないものか。

これも業界へのリップサービスなのでしょう。

 

「社会実験」と称しての再開ともいいますが、それならば先に用意すべきものは用意するべきですね。まずそれからです。

次の感染爆発による医療崩壊を予測しての増床と、もしもの時のロックダウン用法整備は当たり前。

次いで家庭内療養の解消(医療崩壊への手当て)とPCR検査の拡充のアナウンスをしていただかないと。

このド田舎でどう気軽にPCRの検査が受けられるのでしょう。

 

ブレークスルーの頻発で効くのか効かないのかわからない、ワクチンと治療薬への「未来の楽観」ではなく、一人残らず「絶対に死なせない」といった命大事の気概を見せていただきたいものです。

「少しの犠牲はやむを得ない」の毎度の「些末な者の命」の存在を感じます。

 

画像は22日の朝刊(朝日・読売・日経)の見開きの広告。

いろいろ違和感アリの声も聞こえますが、私はまったくその通りであると思いますがねぇ。

曇鸞の言うこの世界・・・「三界」・・・虚偽・輪転・無窮の通りですから。

 

新コロの味わい、その苦境を知らない連中がその広告を否定されたとしてもねぇ・・・国のあり方を批判したとしても変わらないかもしれませんが、そういった意見も汲んでいくというのもまた政治の責任。

為政者は自身の希望や安泰をのみ望むのではなくて国民の僕としてその命を守ることに励んでいただきたいものです。

それができていないということの表れとして受け入れなくては。

政治家は人気アイドルや学芸会とは違います。

いつも厳しい目で見なくてはならないというのが国民の役目。

 

私からすれば「死んだ人の声だって・・・」というところもありますが、「見殺し」というのは事実だと思いますよ。

ケアらしきケアをしないでお楽しみ(五輪・・・)のみを強く推し進めたのですからね。

経済活動の復活・・・? まるでそれこそが倫理や正義とばかりに大手を振って闊歩する思考こそ違和感があります。

最近は「〇×の一つ覚え」の如く聞こえてきます。

 

まぁ、新コロによる臨終の「その時」、家族や自身が「自宅療養」という体のいい放置でもって見捨てられた時に初めてそれに気が付くのかも知れませんが。

しかし「〇×は死んでも・・・」とはよく耳にする語ではありました。

 

私も前回の宝島の広告よりもインパクトあって「なるほど」などと感じ入って本堂正面に貼り付けておきました。

あの見開き広告のコストの方もいったいどれくらい・・・などと心配してしまいました。

 

最後の画像は奥方の黒にんにく醸成のひと手間。

庫裏の廊下ですがもはや臭いは無し。

釜から出してスグのものは湿気多くしてコクもあまりなしといいます。

そこで干物用のネットを持ち出して、そちらに干すこと約10日間。好みによっては2週間以上干してもイイそう。

すると美味さが「全然違う」(奥方)とその時間の貴重を吹聴しています。

まぁよく言う「グミ」「プルーン」の食感がありましたが・・・。

私はその味の方よりもサプリメントとして頂いていますから、どうでもイイといっちゃあどうでもイイ。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 24 9月 2021 08:50)

    「曇鸞」・・・久しぶりに聞いたお名前。
    三界とは懐かしい言葉。忘れていました。
    「お取り越し」を中止にしましたがいいのでしょうか。
    真宗の特別な集会とはいってもコロナも心配。
    2年続けての中止に後ろめたさがあります。
    それこそ「南無阿弥陀仏」でいいにしてもらいたいです。
    どういうわけか奥方は中止の方が気楽とか。そんなものか。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 24 9月 2021)

    ありがとうございます。
    お取り越しの2年連続の中止は「病は定業」とお文でも記した蓮如さんからすれば
    なんともなさけないことでしょうね。
    しかしそうとはいえみすみすコロナに身を曝す必要もないわけでして、ここは阿弥陀さんに
    直接許しを請うばかりです。
    命が繋がってこその生きたお念仏。来年元気な声で皆さんと一緒にお念仏させていただきます。それまではご自宅のお内仏にてよろしくお願いいたします。