昨日の静岡は640人。大層な数字です。まぁ沖縄の状況よりは断然マシですが。
沖縄の夏への誘惑にかられて首都圏から逃避した人たちが感染原因であることはまず間違いなし。
トーキョーの数字ばかりが減っているように見えて(中には「ピークアウト」などの声まで)はいるものの地方大変の状況は相変わらず。
18日現在で全国の自宅療養者の数が10万人弱(96857)から昨日で118000と確実に増えていますからね。そのうち全国で2000人の重症者。
神奈川県の重傷者用病床使用率は100%のブッチギリの緊急。
ECMOに繋げられている患者さんが増えているということですが、以前と違って今や20代30代が普通にいるとのこと。
どうすればいいか・・・毎度記していますが軽症の内に対応していただくしかありません。
検査の拡充は当たり前、野戦病院的、プロによる集団管理のシステムでなけれは国民総見殺し・・・の様。
「総裁誰にする?」のワクワクドキドキ感もわかりますがもっと国民に訴えかけるような「コレやるから付いてこい」のメッセージを出せないものか・・・今は新コロを何とかしてくれないと。
希望として「ピークアウト」と口にしたい気持ちはわかりますが、トーキョーの「検査の限界による陽性者数過少」とお盆休み時の東京退避の移動空白期間も見えてその語は空しく聞こえてしまいます。
地方の感染者upの理由もトーキョーからの人の流れというのが誰もが考えるところです。
昨日のトーキョーは2、30代の人たち? に「先着順200名様予約ナシでワクチン打てます」を公開したところ接種会場に若者たちが押し寄せて行列が発生。
今度は急遽「抽選にします」のゴタゴタを見せていました。
五輪筆頭にトーキョーのやることなすこと・・・まぁ知事殿の思いつきなのでしょうが、変てこりんなことばかり。
地方は大迷惑しているのですがねぇ。
さて、画像①②は拙寺の過去帳から。
明治二十三年の夏、「七月」から抜粋。
記入者(住職)が過去帳記入の際、但し書きについて何か記すことは稀で、殆どが何も記さないというのが常。
その件、記すか記さないかも判断は書き手の気分次第で、実際のその数については把握できませんが、その年の夏、「流行病」によって亡くなった方が二人記されていました。
場所は同じ地域(新町)、別々の家で二件とも女性です。
夏の「流行り病」といえば蓮如さんのお文「疫癘」もそうでした(延徳四年1492六月)。旧暦ですから真夏ですね。
明治二十三年はコレラの再燃があったともいわれる年ですが今巷でいわれる「パンデミック(pandemic)」の語が使われるようになったという「旧ロシア風邪-インフルエンザー」が世界的に流行した年でもあります。
私はやはりその「ロシア風邪」がこの「流行り病」かと考えています。
感染の「染」から・・・とは、どうかと思いますがその「流行り病」を「お染風邪」とも言ったそう。
このお染といえば各演劇で持て囃された「お染久松」です。
「お染」=「病魔」として忌避すべきものに。
シャレといえばシャレのように感じますが当時の人々は結構に大真面目だったのでは?
玄関前に「久松留守」の札を貼り付けて家の中に「お染」の侵入を拒んだといいます。まぁおまじないの類ですが。
蔓延が収束に向かったのは現在の様に人口も多くなく、公共交通機関と人の移動もなし、何より家々が隙間だらけの気密空間でなかったことが大きいでしょうね。
そう考えると、今回のパンデミックは長くかかりそう。
世にはその手の病気の退散を期待するお札もまた流行っているようですがやっばりソレ、「久松るす」でしょう。拙寺も一つシャレてみましょうか。
尚過去帳の2件は新町でも大店系、たくさんの奉公人を抱えたであろう家ですので、その中から「お染」は蔓延したのでしょうね。
③はECMO netから。
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がつお (日曜日, 29 8月 2021 11:12)
お寺さんの過去帳を拝見できる機会はそうはないですが、思いのほかコンパクトに作られているのですね
同じ大谷派のお寺さんで私のご先祖の元菩提寺ではパソコンで過去のデータを管理されていましたね
ご住職もトライされてみてはいかがでしょう
今井一光 (日曜日, 29 8月 2021 13:26)
ありがとうございます。
お寺にもよるとは思いますが当家の過去帳は情報量が少ないですね。
要は当の本人が知ってればいいということなのでしょうが、後世にそれを伝えるという
意図はまったくみられません。
私はその件具合が悪いと思い当初からエクセルで過去帳管理をしています。
当然に以前の過去帳から転記済みで、最低限の検索をかけることができるようにしています。
一番に「わからない」を思うのは江戸以前のものは①苗字がなく名だけ②家長の中心の時代につき妻や子の名が記されていないことですね。〇〇妻 〇〇子 の如くです。