水上勉の禅僧、小僧(10~13才)時代 瑞春院 雁の寺

「恥をかいて(経験を重ねて)大きくなりなさい」などとよく言われたものです。

その言葉は躊躇して前に進めない出来損ないの私など若衆に向かって他者の目を気にせず、ありのままで進め・・・的、まずは師からの叱咤激励の言葉ですね。よく言う「失敗を恐れるな」というやつです。

 

これは成長過程にある者へ「恥」「羞恥心」というものなど一時的なものであって、それを物ともせずに遮二無二なって事にあたることが肝心であることの勧め、一種の超然、諦観でしょう。

まぁ周囲の人の思いなどを気にして、自身のやるべきことを見失うことほどの愚はありませんからね。

 

しかしこれまでの五輪のあれこれを見廻していてこれほどの「醜態」を世界に晒した「日本」のそのご担当諸氏に言いたいことといえば「もうこれ以上の恥は世界に発信しないでほしい」というのがせめてもの今の気持ち。

未成長のガキではないのですからね。

何から何までみっともない「恥」と思える事案が沸き上がり、また沸き上がり続けているような現状です。

 

今度は五輪開会式のショーディレクターさんとやらがユダヤ人ホロコーストを過去に揶揄していたことが発覚して解雇されていました。数日前には開会式の曲を作ったミュージシャンが「イジメ」問題でクビになっていましたね。

しかし世界の協調とか平和を大層な旗印として掲げる五輪のスタッフ様の人事それも直前になってのドタバタ劇ですからね。

それ以前のみっともない系の話となると女性差別に人格蔑視などなど枚挙に暇がないくらい。

これらをもって日本人そのものの考えが一律そうであったと世界中で受け取られるというのは一庶民として辛いことです。

ここでも昨日の通り「ドコカニイッテ、ハヲミガク」系のビッグなネガティブサプライズでした。

 

しかし直近その名の上がったお二人の件。

それまで私などまったく知らない人たちでしたから、それでもその名前は全国に知れ渡ったワケで・・・。

名が知れてナンボの世界と聞きますからね。

もっとも3日もたてば私の記憶から消えていくでしょうし、名前が出回った分、事が事だけに(「非道徳」の部類です)今後人様の前に出てこられるかといえば普通の感覚でいえば「もう無理」でしょうね。「サヨナラ」です。

 

それにしてもそれほどの国際的大イベントとなれば有り余るほどの準備期間があったはず。

その手のゲスな発想をする輩たちの性根を見抜けなかったというのもお粗末様としか言いようがありませんね。

この期に及んで「見直ししていく」の声がありましたが、どれをとっても他人任せで自責ナシのシステム。ただの苦し紛れの弁明のように聞こえました。既に始まっている競技があるのにね。

 

そして感染者のあった場合(昨日の組織委の発表87人)のまともなルールも決めていないなんて・・・ドタバタもここまでくると恥を恥と気づかない恥。

「オレでも大会運営者になれるよ」とますます奥方への家庭内軽口が飛んでいます。

 

昨日の私は朝から葬儀前の色々・・・から。

そこで参列者の雑談が耳に入ってきました。

「今日は休日だったのを忘れていて混雑に遭遇、危うく遅れるところだった」と。

私も「なるほど・・・だからこの日まで葬儀が・・・?」と今日になってそれが延ばされていたことに気づいたのでした。

知らないうちにカレンダーがいじくられていたことに驚き。

なんと急造4連休となっていてその初日が昨日だったのでした。

 

まったく気づきませんでした。

当家にぶら下がっている各カレンダーにそのようなことは記されていませんからね。

奥方も薬の処方箋を取りに行けなくなって地団太を踏んでいました。

そもそも檀家さんの依頼主導で動いていますので私の予定は二の次、その無茶振りを知らなくてもまったく関係ナシですが。

 

4連休などといえばどなたも考えることは遠乗り旅行。

昨晩のニュースでは京都嵐山の風景が映されていましたがひと時よりずっと混雑を思わす風景が。

観光地に人々が出て、地元の関連業界はいい思いを多少はできるのでしょうがこの分ではコロナウィルスの感染に歯止めはかからないでしょうね。

緩みまくりを助長する連休の存在は五輪のため。やはり恥ずべき軽率としか思えません。

 

そういう意味では台風6号の東シナ海の居座りについて、観光業界には痛烈でしょうが、コロナ蔓延状況の打開のきっかけとなりうる「好天」と思えてなりません。

台風は太平洋上にまたも発生していますが気持ちは高気圧さん頑張って・・・

そのおかげで本州の直撃は回避されます。

まぁその分被害大迷惑の地があるわけですが。

天気の事の個人の一喜一憂は無礼講。

 

昨日の私は相良の近場をうろうろしているだけでしたが、息子といえば「大変だった」とのこと。

片道2時間の小平霊園でのお仕事だったそうですが運転疲れと気温上昇で「くらくら来た」とのこと。

おそらく燦燦お日様の注ぐ墓参タイムのことを言っているのでしょうが寺の小僧といえども夏といえばシャツ1枚に短パンとビーサンのスタイルがしっくりと来る者としては法衣による緊縛の身をHOTな環境に投じることはキツいこと大いに理解できますね。

 

私が思うに帰路の2時間の辛さについて同情しました。

案の定睡魔との闘いがあったよう。

夏の「帰り路」はそれが一番リスキー。彼は衣のままコンビニに行くことに対して「人の目を気にしない」そうですが、私は何しろ「脱ぎ捨てたい」が先に立って法要が終了次第どちらであっても着替えを優先。

 公園など駐車場を見つけてさっと着替えることができますが(車の外で)、息子の方はそれを「恥かしい」と。知らない場所ですから人の目など関係なし。

恥の受け取り方それぞれ違うということですね。

 

さて、作家水上勉といえば禅宗寺院の小僧経験のある人。

もとはといえば福井の被差別部落に準じた家の出自といいます。家の口減らしのために10歳で寺に入ることとなりますがそれが京都相国寺の塔頭「瑞春院」。

 

そこでの水上勉の経験から書かれたのが「雁(がん)の寺」ですね。

寺の中のいろいろ、洗いざらい書かれて「恥ずかしい」・・・と思うところですが水上はそちらで直木賞をとって映画化までされています。寺からは多くの反発もあったようですが・・・

水上の成功はいろいろな経験と失敗の積み重ね。

ただし一種の暴露本の躰にも感じます。

 

お寺は庭と水琴窟の音の良さで知られていますが、ひょいと行って拝観できるお寺ではありません。

特別拝観のアナウンスを待ちましょう。

 

④⑤画像は拙寺前の道路の陥没箇所。

どう見ても穴は広がり周囲に陥没は広がっているようです。

奥方からは「どうすんだよ・・・」。

どうするもこうするも既に市の道路課に一報済み。

あとのことは任せるしかありませんが、怪我人でも出なければスグには動けないものなのでしょうかね。

忙しいのでしょう。

4連休となれば週明け以降の仕事となるのでしょうが、それまでにアスファルトが溶けてしまわないか・・・注視しています。