忖度しない賢明懸命 青砥藤綱  現状不在の政

昨日の境内、「打った後、手がパンパン、痛くて痛くて・・・」とオーバーアクション?で語った方がいました。

ワクチンの1回目の接種完了とのことでしたが、奥方はそれを聞いて「え~」っとばかりにビビっていました。

私は「痛み」には慣れていますが、今も色々なところにそれが残っている中、また一つ不調が増えるのは厄介なことです。

筋肉がガチガチ、動きが足りないからか・・・

 

その方の奥さんは50代後半とのことで、今回の接種の指定に至りませんが何しろ「早く行ってこい」とせかされて予約の方も取ってもらったそう。

その方はカラオケと外飲み大好きですが「とにかく2回打つまでどこにも行くな」と念押しされているよう。

まぁお楽しみなのでしょう。

嫌味になりますので「ワクチンは万全ではないですよ~」とは言いませんでした。

 

一歩も境内から外に出なかった一日。私は朝から夕まで天気良好のため会館内外の整理をしていました。

処理場の日曜オープンの日であり、午前中はヘルプの檀家さんに処分に走ってもらいましたが、案の定の大混雑で諦めて持ち戻っていたほど。日曜に開いているとはいっても平日に時間のある私どもにとってはあまり有難くないですね。平日ならサクっと搬入できますので。

 

この日は会館にずっと放置されていたマッサージ器を引き取っていただこうとその「ワクチン打った」という方を呼び寄せていたワケですが、機械にイザ電源を入れるとまともな動きにあらず。

使い物にならなかったということでその処分について当方で行わなければならなくなってしまいました。

 

そのマッサージ器もそうですがたくさんの応接セットの椅子など、今回私どもを苦しめている「物の山」は「使わないから使って~」とばかりに先代が親戚筋(母の姉たち)から送り付けられたものです。

配送料もバカにならなかったことでしょうがハッキリ言って私が頼んだ物でも承知してもいないガラクタです。

シャンデリアなどもありましたが今目前にして疑問だらけのゴミの山。

 

お寺だから、広そうだから・・・置くところがあるだろう・・・と勝手に思い込んでいるのか、迷惑な話でこればっかしは、親戚といえどもウンザリ。というか「親戚だけに・・・」か。

父母には何故「イラネ・・・」と断らなかったのだ・・・と恨みつらみも出るところ。

送ってきた物たちの多くは京都の叔母たちですが、皆既に他界しています。

「なるほど終活の一環か・・・」と合点した次第。

基本、終末を意識するのなら「(買わずに)捨てる」なのですがね。 ボヤキは尽きません。

 

さて、昨日は「水の豊かさ」について記しましたが、鎌倉は「水が豊富」という感じ。

「鎌倉十井」(かまくらじっせい)とか「鎌倉十橋」(かまくらじっきょう)などと水にかかわる色々が伝わっています。

また北側横浜金沢区との堺となる防衛ラインの峠から鎌倉の中心部を相模湾に流れ込む滑川とその支流たちがその「豊かさ」を演出しています。

 

先日は東勝寺址について記しましたが、鎌倉中心を通る大路方向から滑川を渡る橋が東勝寺橋。

お洒落なアーチ状の件記されていますが橋の上からではそれがわかりませんので失礼。

 

そのカタチよりもずっとこの地で起こったといわれる伝承の方が面白い。

それが青砥藤綱の件ですね。

青砥藤綱の賢明、懸命、実直そして上の者に媚びず、下の者と社会に配慮する人間の良質さは歴史上特筆です。また今風に一言「忖度しない男」。

今の政に関わる者たちは是非にここ東勝寺橋の下の清水で一度顔を洗ってみたらいかがでしょう。

 

ウィキより。

『かつて夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあった。

「10文を探すのに50文を使うのでは、収支償わないのではないか」と、ある人に嘲られたところ、藤綱は「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。

50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。

合わせて60文の利は大であるとは言えまいか・・・と』。

 

私の場合その手の損得勘定はいつものこと。

ただし大抵は小損をしつつ大損するという図式。

まぁ堪忍袋というか「度量」が大きい人は「先生」(知者)ですね。