百の古仏・古城との出会いに百の喜びあり 茅ケ岳

日本人の半数近く(49%)の人がこの夏の五輪の中止あるいは延期について望んでいるとのこと。

先週末に催された史蹟研究会の雑談の中でも諸先輩方異口同音にそれを指摘していました。

どう考えてもアレの無理くり強行については腑に落ちないという方が多いということです。

 

「諦めずに」とか「日本人を元気に」などというキレイ事を吐く人がいますがもはや詭弁の如し。利害関係人としか思えなくなりました。

そもそも私に限っては諦めるも諦めないもどうでもイイから。祭りが私の強い望みでもなく、十分元気にさせていただいていますので。

 

大概の国民にとってもそのスポンサーをしているワケでもその出場に命をかけているワケでもないところ。

そこに来て、「元気にする」どころか「病気にする」かも知れないその「バカ騒ぎ」に諸手を挙げて賛同することなどできませんね。

 

ガースーの支持率がダウンしたとのニュースがありました。

いよいよその大イベントの強行を進め、結果博打の如くいい目が出て「御の字」をいただくことを偏に夢を見ている図が思い浮かんできました。

そこに丁半賭けているのでしょうね。

 

衆愚民衆としては日本人のアスリートがバンバンメダルをゲットしスポーツ紙の一面を連日高揚感に満ち溢れた言葉で飾られさえすれば結果、自身の「支持率はあがる」という算段でしょうか。

国民の健康を博打の駒に、そうであれば今に仏罰が当たる・・・・。

日本人のメダルゲットのひと騒ぎに不参加の国の人々は勿論、日本人であってもどっちらけ・・・

 

年配者のワクチン接種優先の件、拙ブログでは各疑問を記してきましたが、その理由こそ、一見健康脆弱と思われる年配者層には「祭りの前に済ませた」という「対策十分」という既成事実つくりだったような。

今の感染爆発(ただの「さざ波」程度というその取り巻きの御仁もいましたが)を「推進」している者に年代の差異はなく、どの世代でも重篤患者が出ているのにもかかわらず、医療従事者、救急隊員等を差し置いてそれのみをターゲットにしようと進めてきたことですね。

やることなすこと疑問だらけだったのはやはりウラにオリンピックがあったのでした。

 

昨日のニュースの数字ですが、海外のワクチン接種回数が12億8000万回といいます。

数千万~億回を上回る国々はインドを除いて上々の結果を得ていますが、日本は400万ちょいというところで先進国中ドンビリの状態。

しかしもっと驚かされるのはまだワクチン接種が始まっていないという国々が世界に180カ国もあるとのこと。

まったくフェアではないですね。

 

オリンピックの開催となれば無観客であったとしても選手以外のスタッフや報道関係者含めて5万~8万の来日があるといいます。

そういう方たちをホテルに缶詰めにして毎日PCR検査をして「管理する」とはいうものの、その手の管理が果たして出来得るものか・・・海外から日本に来れば「折角のトーキョー、六本木で一杯」となるのが人情でしょう。

 

ホテルから抜け出したらどういったペナルティがあるというのでしょう。

きっとザルの如しでしょうし、そもそもオリンピックというものは競技だけでなく海外の文化の紹介と自国民との交流に意義があるもの。

私は「中止にしろ」などと高慢な態度で言い放つことは差し控えるにしろ「時を見て柔軟適宜に思量して・・・」と思うばかり。しかしやはり中止か延期の判断をして欲しい・・・要は世界のすべての人々にワクチン接種がゆきわたり、この病が「落ち着いてきたら やればイイ」と思うのですが。

オリンピック憲章に「平等」という語句がありますが、まったくその心得を感じませんね。

 

なぜ今強行したがるのか・・・自分たちの任期があるから・・・花道を飾りたいから・・・おカネ儲けの問題があるから・・・その辺りでしょう。

 

さて、表記の語は私の造語というかパクリです。

しかしまさにその通りではありますが、現状そういった「出会い」はお預け状態。

いいお天気の五月晴れとあって家に居続けなければいけないのですから辛いですね。まぁプラプラしていますが。

奥方は「頭を冷やせ、そもそも住職。その文字を今一度考えなさい・・・」

そしてまた自身「墓と城」という人の居ない場所廻りといえども何せ畿内方面は躊躇することになります。

 

さて、先週末、友人の「女墓場」から「茅ヶ岳に行ってきた」と画像を送ってきました。

「女墓場」が行った場所はその世界(登山者)の聖地だそう。

今、「百名城」等の名称あげて全国の城たちを紹介する書籍が各ありますが、おそらくそのハシリ、著書「日本百名山」を記した人が深田久弥です。

 

その人が亡くなった場所が茅ヶ岳とのこと。

登山中に突然の病(私が今一番に警戒している脳卒中)に倒れたのがそちらだということで絶命した地に石碑が建っていたのでした。

登山を兼ねて、その石塔にお参りに行ったようです。

山は「もやって 景色悪し」とボヤいていましたが楽しそうで羨ましくも思います。

 

深田久弥は作家兼登山家ですが、68歳の時その山で亡くなります。

登山家が山で死ぬことに「本望」を感じましたが、果たして「私の境内墓地で」とは雲泥の差でしょう。

本望は本望でも人の手はあまりかけない死に方がイイですね。

 

突然の病への件は致し方ないのでしょうが最近、やたらと山での滑落、転落のニュース(「梯子」とはチンケですが私の実体験もあります)を見聞きし、大変だ・・・ということと「落ちる」というか地球に引っ張られるという物理的法則について特に考えることが多くなりました。

 

「打ちどころ」がすべてですが、やはり高低差の致命度の違いは大きいですね。ハーネスとザイル、ヘルメットのセットが「不要だろう」と思う高さ・・・ほんの数メートルでも「人は死ぬ」ということがわかりました。

それも「緩み」の一つです。

安全、安心、大丈夫と思った瞬間に緩みが発生します。

 

画像④の石碑に記された言葉が表題パクリの元。

『百の頂に百の喜びあり』。

 

畿内ムリでも山梨なら色々廻れそう。自然の中こそ安心・安全。