少病少悩の願い 謙虚だがそれは選べない 日限地蔵

今やるべきことは「祭り」ではなく新型ウィルス対策。

要は市民の健康、安心を守る事なのですが。

「○○を守る」と言うフレーズは政治家の宣伝・アピールの中でもよく使われている語て、お頭の方があまりハッキリしない私などは「まぁ、なるほど・・・」の如く錯覚に陥ってしまうものですが、今のこの現状を俯瞰して「私は守られているのだ」と実感されている方は果たしてどのくらいいらっしゃるのか・・・甚だギモンです。

 

大阪の「100万人あたりの新規死亡者数」がインドを上回ったというニュースがありましたが、大阪の医療はすでにぶっ壊れていますね。先日滋賀県にヘルプを求めるなどという声もありましたが、その滋賀も受け入れしている場合ではないような状況かも・・・。

首都圏でも「発熱外来」の行列の様子が報じられていました・・・

要は数多「野垂れ死」の様相が想像できるわけで。

 

大阪のテレビ出たがりのパフォーマー知事殿の各ご活躍は拝見していますが、関西圏の惨憺たる状況が毎度報じられ続けて、ハッキリ言ってあの人が何をやっても「通用しない」ことだけはわかりました。

お口の方はお達者の様、しかしすべてが演劇的かつそれも的を射ないもの。あの「イソジン」がいい例だったかも知れません。

結論として1年間何も対応、対策の進展がなかったということで一言で「無策」。

そのステージは壇上華々しくもありますが市民にとっては「無価値」であってむしろその地位にしがみつかれていることこそが市民の悲劇なのですね。それはガースーのいかにも頼りなさげと同様。

 

そろそろ大失敗を認めて身を引く覚悟も必要でしょう。

政治も結果ですからね。

死屍累々の惨状、市民を守ることができなかったことに対してどのようにお考えになるのでしょうか。

国の方も例の宣言を日限で、〇日に解除すると決めていてそれが無理とわかって今度も延長の日にちを「今月いっぱいまで」と改めましたが、この新コロの蔓延状況からしてそもそもそういった日限はアリなのかまったくギモンです。

何よりこの夏、国の主催する国際的お祭りに影響が及ばないように・・・というところが見え透いてきます。

 

最初の日限は「ぼったくり男爵」とワシントンポストが酷評した国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の「来日にあわせて」の策謀を感じましたが、そうあったとしたら無理無理見え見えの浅はかさ。

専門家だけでなく色々なところから嘲笑されていましたね。

 

次は「5月31日まで」といった日限が発せられましたがさてさて、どうなることやら。

「そして誰もいなくなった」・・・アガサ・クリスティではあるまいし、国民はどんどん消えていきます。

 

「山手線を止めろ」などとの暴言ともいえる語を去年の春に拙ブログで記したことを思い出しますが、現在の山手線の混雑具合を見て、これは今度の日限もムリかも・・・という思いと、私は気候のいい静岡の人がいないド田舎に住まうことの有意義を再確認したのでした。

国民全体に大きな緩み具合が見られますからね。

今一番のタブーは油断。緊張の糸というものがあるのならもうしばらく張り続けなくてはなりません。

「もう我慢できない」の声を伝えるニュースがありますが、それはそれで限界と緩みの雰囲気を助長しますからダメですね。

 

今の私の僅かな願いとしては横浜の息子はじめ知り合い、友人たち檀家さん縁者が何事もなくこの禍をやり過ごすこと。

もはや大きな願い・・・感染の撲滅とオール安心など夢のまた夢となりつつあります。

 

さて、横浜の「奥の墓道」氏の住まう横浜は港南区の地名に「日限山」があります。

ごく最近の町名変更によってその名が銘々されたといいますが、今風ありがちなキラキラネームではなく如何にも古風を感じました。

「日限といえば地蔵」(日限地蔵尊)といったイメージしかない私ですが、やはりその近くに日限地蔵尊がありますね。

ちなみに私がよくその名を見るのは金谷ですが。

 

日限地蔵の悪口を言うワケではありませんが、私の一心一向の阿弥陀仏といえば年がら年中いつでもどこでもで「限り」ない「無制限」ですからね。

特にまたその語を見ると有難く感じてしまいます。

まぁ当方の思う勝手、都合のいい「願い」とは違いますが。

 

ここのところ記している藤沢清浄光寺(遊行寺)にもまた日限地蔵がありました。

そこで昨日の四文字熟語「怨親平等」に続き「少病少悩」を。

少病少悩は一言で「軽い病」。

私は先日来幸運にも梯子から落ちての「少病少悩」の軽度の打撲で済んだことを記していますがまさにそれ。

その手の予期せぬ「禍」は仏教の教えからいって絶対に免れることはできない「定業」の一部ですが、心情としては(自分だけは)「できるだけ軽く済ませたい」というのは当然のこと。

そしてこの地蔵の体内から発見された文言が「少病少悩」といいます。

 

それは庶民の切なる願いかも知れませんが現実はその願いとはかけ離れているようですね。

まぁだからこそ人はそれを心中懇願するのですが。

 

 

※5月29日に「い~ら」にて開催予定だった井沢元彦氏の講演会の中止情報が昨日午後にありました。

田沼意次銅像の序幕式の記念講演です。

 

私はそもそもこの時節、どちらも回避の方向でした。

ただし除幕式は行われるようです。

念のため各ご確認を。

問い合わせ先:牧之原市社会教育課 0548-53-2646

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