昨日の法事は最近少なくなった自宅の法要でした。
そのままご自宅裏手の墓地への墓参で終了しますので本堂でのお参りはなし。
ちなみに息子のいる横浜周辺の法要形態は「ご自宅」の頻度が高いようです。
持ち物がいつもと少々違ってチェックを念入りに行いますが、「ご自宅」の場合は100%お内仏前の正座となりますので、事前に正座のシミュレーションをして大丈夫と自身念を押しておきました。当初は膝を曲げられないくらいでした。
打撲事件後、最初だった前回の法要はご自宅仏前はご挨拶程度で本堂にて本法要となりましたので大して座する時間はありませんでした。しかし今回は「フル」でしたのでその「確認」が必要だったのでした。
左足の打撲の痛みは、救急車の中での問診で応えた箇所(大腿部)になりますが、日々その痛みは消えて、現在の主たる症状は両肩の痛みになっています。
そちらの症状も当初から出現していましたが足の痛みが消えつつある中、特に昨日あたりからは絶不調の域に発達していました。
再び両腕が真っ直ぐに上がらなくなっていますが、症状を一言でいえば「酷い肩こり」の感覚。
これも打ち身の後遺症なのでしょう・・・
今回の法事は1年順延されたものでした。
家族のみの参集でしたがご家族が関西圏からGWを利用して帰省していますので「家の中でも全員マスク装着」のうえ換気に配慮されていました。
よって御内仏前は心地よい爽やかな五月の風が優しく吹き抜けていました(殆ど「森の入口」のようなお宅)。
当然に施主ほか皆さんは「私のことも気がかりだろう・・・」と思い、先日28日の入院の際、「初めてPCR検査をしました」と打ち明けました。
ずっと室内で発声しているのは私ですからね。
それを抑えようと不織布+綿のダブルマスクで臨んだほど。
そのPCRの話をしている際、あの時既に入院が決まっているのに処置室で待たされ続けた意味がふっと思いつきました。
やたらと待たされて病棟に運ばれなかったのは・・・陰性判定が出るのを待っていたということでしょうか。
昨日はワクチン接種の順序について(医療従事者そして介護職員、各施設の管理者・・・それから社会活動度の高い若い世代)記しましたが一つ優先順位を上げるべき職種を記すのを失念してました。
それが初期救急対応をしてくれた隊員の皆さんです。
私は搬送されるにあたって(マスクをしないで作業をしていましたので)奥方に「マスクを持ってきて・・・」とその件気にしていましたがそのマスクを手渡されたのは処置室に運ばれてから。
それは何故かというならば救急車の中での「マスク」といえば酸素呼吸器が定番です。
不織布マスクなど着けていたとしても外さなくてはなりません。
ということで私の車内での移動はそのマスク装着してのもの。もし私が今いわれる「スーパースプレッダー」の強烈感染源だとしたらあの「密室」にて対応にあたる彼らを最大なリスクの下に曝すことになったわけです。
ところがその肝心の患者の初期対応、救急搬送を手掛ける隊員へのワクチン接種が遅々として進んでいないといいます。
この国のやることなすことケチをつけるようで申し訳なくも呆れ果てるばかりですが、何故そこのところが理解できないのか・・・不思議で不思議でなりませんね。
救急隊員に看護師、医師など最前線で働く皆さんにまずは接種していだきたいものです。そこが倒れたとしたら誰が代行してくれる?
さて、昨日は旧宝泉寺の釈迦如来坐像について記しましたがそのちいさな祠の上部、旧駿遠線トンネルの上には宝泉寺歴代と思われる墓域がありました。
ただ藪の中に散乱していたあの時以来私はそちらには入っていませんので確認はしていません。
その上部まで散策道ができていますのでちょいと下りればいいだけなのですが、滅多にこちらに上がることのないその時も退院翌々日のことで気にはなりましたが自重したのでした。コースは4方面から上がれますがその時は小堤山公園から廻りこんで。
そのキレイにされた散策路については海側からの避難通路も作られるなどしていますが、これは安政地震の際の津波でこの地まで避難した波津地区の人々の「経験」を意識したものでしょう。
その西に向いた削平地に石仏たちが一列に並んでいる場所があります。こちらは旧宝泉寺の石仏かと。
中心に立つ石仏をよく見ると「善光寺如来」。 阿弥陀さんですね。
当地にも善光寺信仰があったということです。
拙寺を見下ろす南側に張り出す舌状台地のトップに、そして拙寺の阿弥陀さんよりもさらに西に阿弥陀さんがおわすということになります。
善光寺形式であれば「一光三尊」ですがこちらには脇が見えません。
基礎の角柱の石には何やら記されていましたが・・・
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野村庄右衞門幸正 (水曜日, 05 5月 2021 23:01)
ここ、前に行ったことあるかもしれないです。小堤山公園の奥ですか?小高い丘のような場所を登ると朽ち果てたような神社らしき感じがあったように記憶してます。で、写真のような石仏が何体も並んでました。いろんな人の名前が彫ってあり、親族の名前もありました。
あと、近くにはある人物の慰霊碑のような石塔もあって沢山の人達が寄付をして建てたとわかる記録が彫られていました。その中には先祖や親族の名前も!先祖の痕跡は探せばまだまだあるかも知れないと思った発見でした。
今井一光 (木曜日, 06 5月 2021 10:26)
ありがとうございます。
まさにその通りです。
あの社は完全に朽ち果てて、ようやく再建が決まり工事が始まったようです。
辺鄙な場所ですがそれでも以前の小堤山を知っている人には嘘のように変わった感がありますね。