小笠原流流鏑馬 静岡開催準備中 ご紹介いただいて

昨日はまともだったのは朝方のみ。

午前11時過ぎに本堂での法要が終わり原の墓地へ向かう途中、西の空はピカピカっと雷と黒い雲。

ついに雨も降りだしてしまいました。

一昨日から天気予報では土日の発雷注意を伝えていましたので予報通り。しかし少々「早いよ~」の溜息。

 

原の墓地はヤバいですよ。

畑の中、覆いもなく逃げ場はありません。墓地までは農道を歩かなくてはなりません。

 

現着すると施主がスマホで雲の動きを確認しあと10分で何とかなるというので待機していると見る見る雲は晴れてお日様まで顔を出してくれました。ウェザーニュース天晴れ。

ありがたい、ありがたいと言いながらお参りして帰宅しましたが、その後は酷い雷雨が続きました。

当地では広範囲で停電があって避難所が開設されたほどです。

竜巻注意報が頻繁に出ていていましたが牧之原の布引原ではその通過らしい突風が吹いて電柱が倒れ怪我人が出ているといいます。

日曜日はさらに雷雲は活発でキツイとの予報がありますので警戒は怠りなく。といっても引きこもっているだけですが。

 

昨晩は黒ネコ舞鶴(最近は「墨丸」とも)を玄関内に居れるのを忘れていて夜八時過ぎに外を覗いてみると雨に濡れないよう高い場所に置いた箱の上で待機していました。

迎え入れたあとあまりに申し訳ないということで普段よりカリカリをたくさん盛って、「お詫び」として奥方が「ちゅーる」を献上していました。

 

さて、昨日は小笠原流流鏑馬を静岡で開催しようと尽力されているK氏より情報をいただきました(→静岡流鏑馬)。

そこで添付頂いた資料が、大草高重(またはこちら)が「小笠原流の騎射の名人」として明治二十年に千駄ヶ谷徳川宗家邸へ招かれて明治天皇行幸の際に催された「天覧流鏑馬」で射手を務めているというものでした。

画像は「風俗画報」からの添付とのことです。

 

話は変わりますが私は以前ある法要後のお斎の席で市の観光協会との関わりのある方と話したことがあります。

毎年G.W.に相良の海岸で催されている草競馬に関して、それを続けることも良いが城下町として「馬」を押し出して何かやるとすれば「流鏑馬でしょう・・・」とその開催を薦めたことがあります。

特に相良高校の弓道部の力を活用して盛り上げたいというものですが、一向にその手の話は聞こえてきませんね。

 

私の大学には馬術部があって馬のその臭気漂う空気は日々の環境でした。その馬術と弓道が組み合わされた競技が流鏑馬といったら端折りすぎかもしれませんが、日本の武道の中でも歴史ある流儀の鍛錬、技術・・・競技ですね。

競技者は今言う「アスリート」たちであって競技は「スポーツ」なのです。

 

城下町相良を広報するのなら、今一度そういった文化を盛り上げて世界に発信する競技として一役買ってみるという気概が欲しいものです。

「危ないから」「子供たちが怪我をしたら」「管理が大変」という理由をつけたがるのはわかりますが、そもそもスポーツとはそういったリスクがつきものでしょう。

 

海外からやってきた洋弓、ライフル、槍投げ、砲丸は受け入れて競技として成立させているが鎌倉時代から流行った日本の古い伝統ある競技を隅に置いたままにするなんて。

今般いただいたメールに、ただそのことを思い出してしまいました。

 

①は私が先般やらかした事件の直前、近くで見守る舞鶴。

奥にプラケースが積んであるのが見えます。

きっと一部始終を「観察」していたのでしょう。

「私ならそんなヘマはやらない・・・やれやれ」とばかりに。

今更ながらアレを積み重ねて梯子の支柱にするなんて「常軌を逸している・・・」・・・ただそれだけ。

 

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    お祭り大好き (日曜日, 02 5月 2021 07:58)

    布引原の被害は、全国ニュースで知り驚き早期復旧を願っています。
    「流鏑馬」を興味深く拝読しました。
    明治20(1887)年の天覧流鏑馬のなかに大草高重以外に牧之原居住者として山名時富の名前を見い出し、新たな事実にやや興奮しました。
    流鏑馬は5/5の富士宮浅間大社の祭礼時に観賞していますが、3日後の5/5は規模縮小か?
    静岡流鏑馬は、7月に静岡浅間神社前の麻機街道にて開催との外野席からの情報を耳にしたことがあります。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 02 5月 2021 09:32)

    ありがとうございます。
    あの「メンバー表」の中には牧之原開拓に力を注いだ新番組の面々が他にもあるように思いますね。維新に翻弄された苦労人たちの鬱憤がはらされたことでしょう。

  • #3

    (土曜日, 15 5月 2021 21:45)

    ご紹介ありがとうございます。
    静岡流鏑馬は目下鋭意準備中ですが、コロナ禍もあり、まだ日程がはっきりしません。
    明治20年の天覧流鏑馬当日は、流鏑馬射手として「十六騎」の記録がありますが、牧之原からは大草高重氏以下、山名時富氏、小島勝直氏の三騎が出場しています。
    特に大草高重氏(当時52歳だったはず)は、以下のことから一之射手(最初に出走する重要な射手)であったことが推測されます。
    ・「風俗画報」の射手一覧で冒頭に氏名が記載されている。
    ・大草氏自身の書状に、小笠原流で一之射手が出走前に行う所作「揚扇」(あげおうぎ)をしたという記載が見られる。
    ※揚扇
    https://twitter.com/shizu_yabusame/status/1385933914024255494?s=21
    先日は貴ブログを参考にさせていただき、大草氏や大谷内龍五郎氏の墓参をしてまいりました。
    いつかそちらにもお邪魔したく存じておりますので、その節はどうぞよろしくお願い申し上げます。

  • #4

    今井一光 (日曜日, 16 5月 2021 21:29)

    ありがとうございます。
    「揚扇」(あげおうぎ)の儀、ご紹介いただきその流儀の奥深さとすべてにおいての難しさを知りました。
    一之射手として名誉ある大髙高重の存在もあらためて当地の偉人としての存在を確認できました。
    今後ともよろしくお願いいたします。