中世のトンネルの向こう金沢文庫 滅亡と散逸

今年4月のバス遠足は思い切って6か月後の10月、トータル三回再々々延期としたわけですがここのところ何となくそれも「怪しいかも・・・」と思うようになりました。

前年に当初の今年5月、それから4月に変更していたのでしたがそれはワクチンの一般への接種開始が早いと見込んだからのものでした。

しかしその目論見は大いに外れたワケで特に国産ワクチン登場の遅れはまったくの期待外れ。

先日も「それ、わざと遅らせてんじゃねーの」風の邪推?を記したのですが、本日も疑問を。

 

決して安くはないだろう海外産のワクチンを色々な海外のメーカーにお願いしまくって買い漁った(予約)形跡がありますが、どちらでも副反応の色々を聞きますし、モノによっては接種禁止になったようなものまであります。

昨日はよく言われる血栓の件に続いて「四肢が麻痺」の例まで出てきました。

海外産の得体の知れないワクチンなど打ちたくないというのが本音です。

 

お国が折角買い付けたのだから消費して欲しいという気持ちがあることはわかりますが冗談じゃあない。

そのために国産の開発に待ったをかけていたりして・・・。

とにかく厚労省の承認が無ければ製薬会社ワクチン試験のフェーズを進められませんし、認可が貰えません。

よって諸所の理由から承認を遅らせているのかも・・・と勘ぐっているワケです。

 

また旧厚生省の過去の轍(薬害)を踏まないようヒビって必要以上にそれを警戒しているのかも。

早く承認して副反応、副作用で重篤な障害が発生することへの危惧ですが、「緊急輸入の海外産だからしょうがない」の逃げ口上に対して国産では「承認した」責任の重みの度合いが違うのでしょうね。

 

ガースーがアメリカの製薬会社のトップにお電話して頼み込んだというニュースがありましたが、それを欲しいのは日本だけではナイでしょうから頼まれたメーカーの困惑は目に見えています。

要は他国を飛び越えても「日本に売ってくれ」との懇願だったということですがそのパフォーマンスは甚だ見苦しいことです、

 

「科学も医療も発展した我が国は世界のリーダーたる・・・」を鼓舞するこのお国のお偉いさんとして「我が国はワクチン開発も自前で何とかしますので、どうぞ今は発展途上国や病苦で困窮しきっている国々にそれを廻してあげてください・・・」というのがオトナでしょう。自分の国さえ良ければそれでイイという表明ですからね。

 

そもそもわざわざアメリカに行ってそこからアメリカのメーカーに電話をかけて、「ちょうだいな」と懇願するって・・・一体何のこっちゃあ・・・です。意味不明に陥ります。

 

また、昨日のニュースでは政府から「自治体によっては医療関係者の協力が足らず、65歳以上に限定しても場合によっては来年までかかるかも・・・」といった意見も聞こえてきました。

「医療関係者の協力が足らない」ってどういうこと?

医療関係者といえば今、十分すぎるほどご苦労されているのでは。

 

その意見の通りワクチン接種が越年するのだったら申し訳ない。再びバス遠足は順延となるかもしれません。

9月中にすべて・・・といいつつ、越年とも言い放つって・・・。

未来のことはわかりませんしなるようにしかなりませんのでケセラセラ。勝手にしやがれ。

 

さて、鎌倉北条金沢流三代といえば金沢文庫が名のあるところですが幕府滅亡ととものその直接管理者を失うと次から次に武将たちが自分たちの趣味を満足させるために寄ってたかってお宝を持ち出したことでも有名。

それら品々は全国に散逸しているといいますが、案外と「〇〇家伝来・・・」などと言われるスバラシイ宝物など、もともとこちら金沢文庫の所蔵品だった・・・などもあるかも知れません。

実際、添え書きにその事実を記したものもあるようです。

 

称名寺と金沢文庫があった地は近接して幕府滅亡後は称名寺が管理者となっています。そちらとは結界としてトンネルがあって今もその中世の隧道が残っています。

周辺には石塔、五輪塔残欠がちらほら。 

このトンネルの右手が昨日記したお二人の墓域になります。

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    河辺健一 (水曜日, 21 4月 2021 15:47)

    時々ブログ拝見させていただいてます。
    今回の文章は勝手ながら、以下のコメントを付けてフェイスブックにシェアさせていただきました。
    ご報告まで。
    無知な故の仏教用語の粗い扱いは、ご容赦ください。

    ☆★☆★☆★

    久しぶりに、静岡県のお寺の住職さんのブログです。

    タイトルには金沢文庫が冠されていますが、それは最後にちょっと触れられてるだけ。
    前半には、政府のワクチン政策に対する不信感が延々と記されてます。
    自分も、「途上国へまわすワクチンさえ日本へ」みたいな構図だったら、それはちょっとイヤな気がしますねえ。
    副作用については確かなデータを持ち合わせているわけじゃありませんが、こちらの住職ほど気にはしてません。
    …てか、どんなワクチンや薬剤だって、副作用の可能性がゼロなものはありませんからねえ。
    ワクチンの必要性を説く場合によく言われるのは、その僅かなリスクよりも、得られる効果の方がはるかに高いということ。
    自分もそれはその通りだとは思うんですが、ひとつだけ気がかりなことも…。

    というのは、「得られる効果」という場合念頭に置かれるのは、社会全体に得られる効果ですよね、ウイルスの発症拡大を抑えるという意味で。
    でも、なんとかショックなどの副作用がある「僅かなリスク」というのは、個人個人にとってのリスク。
    個人レベルで見た場合、とくに若い世代の場合、発症リスクは元々かなり低い。
    つまりワクチン打って得られる個人的メリットは少ない。
    「マスクせずに街を歩き、飲食カラオケ自由」まで世間が許す空気でもなさそうだし〜。
    なのに副作用リスク(こちらは若い世代の方がむしろ高いという話も…。)を負ってまでワクチン注射をする意味はあるのか。
    自分は(もう若い世代とは言えなくなりつつありますが)それでも意味はあると思ってるけど、少なくとも「社会全体の利益のために個人がリスクを負う」という構図は、踏まえて判断すべき話じゃないでしょうか。
    まあ仏教的には「諸行無常」であるにしても。
    ワクチン接種はひょっとして菩薩行か??






  • #2

    今井一光 (水曜日, 21 4月 2021 19:47)

    ありがとうございます。
    「得られる効果」とはオリンピック開催のための大儀でしょうね。
    ムキになる理由とはそれしかないような。

    今後ともどうぞよろしくお願いいたします。