土葬座棺 幅一尺八寸約54㎝ 高さ二尺三寸約70㎝

畿内の感染者数も凄いですが、コレは変異株の大繁盛ですね。

都内も同様に広まりつつあることはひしひし感じます。

政府はあいかわらず「言葉遊び」に終始している様、マンボ改め蔓延防止に緊急事態宣言・・・緊急~の方は「使用したくない」というのが見え見えですが、それを解除したことの作用、「大いなる緩みの蔓延」という実リスクについては無視していたのでしょう。

何よりオリンピックを開催するためにその言葉の使用は避けたかったことはわかります。

逆を言えば今新コロによって新たに死した人々に病で苦しむ人々、そして医療関係者の無限の悶絶の原因はオリンピック病に罹ったエライ人達の仕業(プライド)かも知れません。

 

東京都のスクリーニング検査による変異株陽性率は3月28日から4月11日まで2週間で9倍超に急増したとのこと。しかしこの検査が1週間おきというのもこの期において不思議なこととは思いますね。危機感は週間レベルということか。

感染力が強く重症化率が強いという変異株、それらも含めて数時間で判定可能なPCR検査キットが民間から売り出されているのに・・・

いずれにしろオリンピック直前、お嫌いなその「緊急事態宣言」とやらを出さざるを得なくなるような気もします。

グズグズモタモタして手をこまねいていた咎ですからね。

できる限りその祭りの片棒は担がず、また自身病を得ないよう心掛けたいですね。

まぁ病苦は人の定業ですからいずれは何かしのそれを受け入れなくてはなりません。

 

さて、お役人さんはじめ「型にはまった」物言いやら各対応にイライラ感を増すことの色々を拙ブログで記していますが、やはりその「型」とはその人やシステムが経験した学びの踏襲でその「ハメを外して」(とやかく指摘されたくない)という一種の忖度なのでしょうね。

それでいてお役人さんたちは結構に人々に対しては「ああするな、こうするな」と上から目線の立場に居ながら、相当ハメを外し中には「新コロに罹っちゃった・・・」などいう人たちも居るくらいで呆れ果てています。

 

「型」というと「破られるべきものは破る」のが例となって時を経ればそれをどこかで「アホらし・・・」とカタチを変えていくというのもそれですね。

私は伝統と文化は継承していこう・・・という立場ですが適宜「アホらし」と思うものは「やめちまえ」というのがその考えです。

まぁお役人のアナウンスの方法でいえば、本来国民に事実を正確に伝える立場にも関わらずまず必ず「混乱を招く」という理由からカタチを変えて伝えようとしますね。

処理水放出をのために大枚叩いて作ったアニメキャラクター化したトリチウムの件などもそもそもそのお寒い発想でした。

 

また時として伝統の継承などいう場合もその範疇にある場合がありますが、「型に嵌める」というと亡き人を収める棺桶の件がありますね。

再三申し上げている通り、当流では御開祖以来「死すれば火葬」というのがその流れになりますが、地域地区によっては古く伝統として土葬が行われていてそれが最近まで続いていました。

 

私どもの今知っている棺桶は「寝棺」。

とても簡単に収めることができます。

既製品ですが大柄の方でもなんとかなってしまいます。

 

C・イーストウッドのウェスタン「荒野の用心棒」で棺桶屋が遺体のサイズを一人一人計っているシーンがありましたが棺桶は亡くなってから新調するものでそれぞれの人にピッタリあったものだったことが伝わってきます。まぁ映画の中の一コマですが。

現代はそもそも時間の節約と効率化からそのようなことは無いにしろコロナ禍の世界、ブラジル、インドなど棺桶屋さんは大繁盛でしょうね。

 

そしてまた国内土葬となると以前は座棺が必須という地方があったようです。

座棺は文字通り棺桶の中に坐した(古くは男は胡坐、女は正座)姿で収められるのですが、それを連想するに「たる型」を思いますね。ところが「たる」の製造には特殊技術と労力がかかりそう。

そこで生まれたのが四方を板張りにした座棺になります(四角柱)。

縦長の座棺はさぞかし取り回しに苦労するでしょうね。

 

座棺にしなければならなかったというのはその地方の伝統だっったのでしょうが、先日読んだ「土葬の村」~高橋繁行~によればその苦労は半端無かったような・・・

とにかく縦長型ですから、墓堀人は2m近く掘り下げなければならないことはわかります。

両墓制の場合、埋め墓は山の奥というのが定番ですから地盤によっては2日がかりになることもあったとのこと。

「寝て」いていただければ1/3の労力で済みそうですから。

 

そしてその座棺の最大ナンセンス(と思われる)習慣とはそのサイズがコレ・・・という具合に各決まっていたといいます。

私がよくお邪魔する近江のある場所では「幅が一尺八寸 約54㎝ 高さが二尺三寸 約70㎝」と決められていたそう。

相当な窮屈な空間を思いますが、この数字には「こじつけ」と言っては失礼ですが面白い、コレさえ守ればお浄土間違いなしという言い伝えがあります。

一尺八寸の18が観音菩薩の精進潔斎の日、そして二尺三寸の23が地蔵菩薩・・・でした。

後者の数字は小田原板橋の「お地蔵さん」という子供の頃楽しみにしていた縁日が1/23と8/23だったことを思い出します。相当量の店が出て毎度ウキウキでしたね。

 

その座棺の小ささはご遺体はもとより収める方もかなりのストレスになったといいます。

死後硬直について考慮し、息を引き取ったらスグに膝を曲げて棺に入りやすく型を整えるという作業が控えています。

体も頭も入りきれないことも多々あって紐で緊縛したり首をボキボキ言わせて押し込まなくてはならなかったといいます。

 

いつしかその座棺は寝棺に変更され、さらに土葬自体が消えて行ったのですが、何事もいつまでも型にハマったこと、それをヨシとせずどこかで止まって考えてみることは必要でしょうね。

 

画像は柳生墓地

宝篋印塔と五輪塔のレリーフ。手がこんでいますがこれも経費節減の一つ、簡略化。