コロナ禍におけるお寺への避難について 本山から

この期に及んで未だ爆発的感染が続いている国の一つにインドがありますね。一日に10万人の新規感染者といいますからまさに唖然です。

変異株の流行が再燃しているといいますからその原因も考えられますが、インドといえば、あの春の祭り、ホーリーなどの報動画像を見ていてまさに正気の沙汰ではないと思うばかりです。

このようなコロナという病気が蔓延している時の人々の行動規範というもの、「イケイケどんどんノー天気気質」の人々の大騒ぎ・・・お国柄が出るのでしょうね。

日本でも大阪など関西圏が今、飛びぬけているのもそんなところかも知れません。とはいえ大阪で流行っている株と東京のそれとは違うといいますので、東京もいずれにせよ流入してくるのでしょう。

 

昨日の奈良県の感染者などこれまでの数字を更新するなどして驚かされました。お隣、大阪突出の割を食っているところでしょうね。しかし奈良の人口密度は相当低いイメージですから・・・

 

幾度もしつこいばかりに私の手柄風に記しますが、4月14日15日の拙寺バス旅行の中止の決定判断はまさに予想的中。

京都市内と宿泊、そして南山城から奈良円成寺に廻ることになっていましたからね。

まぁそんな現状感染拡大の予想などまともに考えていれば誰でもひらめくところ。わかっちゃいないのは国のエライ人ばかり。

うだうだと結論を遅らせて様子見しキャンセル料が勿体ないとばかりにツアーを強行していたとしたら「一体どんな顔をしてバスに乗り込むんだ」と思うばかり・・・あ~よかった。

 

昨日はまた八王寺で高齢者のワクチン接種が始まったとの報道がありました。一応進んでるんだな・・・と一瞬思いましたがそれは大間違い。

電話予約の「早い者勝ち」ということで年配者が電話機に張りついて何度も電話を掛けている様子を拝見しました。

しかしまったく電話は通じず、仕舞いには予定上限到達、そして受付終了ということでした。

何かおかしい・・・平等に受けられるべき福祉の恩恵のイメージとは程遠い姿かと。

いったい何をやっているんだか・・・ワクチン担当・・・とやら。

やれやれの感。

 

さて、「やれやれ」といえば、昨日は南側墓地の土地改良が終了し墓石4基の付け替えがすべて終了した日でした。

総請求額などまさに気絶しているほかはありませんがね。

先般の春の法要の際にそのお墓の持主の一人にお会いした際、私は自身まんまん、胸を張って「完成しました」と報告。

すると、暫くして「家紋が違うよ~」とのご指摘がありました。

そういえばそこまで確認していなかった私のミスですね。

ショックでした。

 

4つの墓をバラバラにしたため、組み立てに際して間違いがあってはならないとその点、口を酸っぱく何度も作業の方に確認していましたが「石を見て載せているから大丈夫!!」とのことでした。その石材石質からの選別について「間違いない」との弁を鵜呑みにして「まかせる」と完全に現場から離れていましたので。

 

現場に立ち会っていればまったくそのようなミスは起こらなかったので残念なこと悔やむことしきり。

仕事的には大した工数ではありませんが、何せお恥ずかしいことこのうえありませんでした。

ボヤキを続ければその4つの墓石のうち2基が「植田家」そして「羽田家」と「佐々木家」でしたが、家紋が記された水鉢(モルタルで接着)が「違う」とご指摘を受けたのは2つ並ぶ「植田家」の一つ。

植田家の家紋といえば私の推測する高天神崩れであって梶葉紋(信州諏訪大社の神紋)ですが見やれば四ツ目紋が据えられていました。そして四ツ目の代表家系といえば「佐々木」が真っ先に思い浮かぶところ。

何のことはない植田家と佐々木家を間違えたな・・・と一目でわかる凡ミスですね。私が現場にいたらまずはありえない入れ違い。

隣同士、姓が同じで家紋が違うわけで、そこも指摘したくなりますが、そういうことはままあることです。しかし佐々木六角について家紋をご存じないというのは・・・少しばかりショック。

 

要は「大丈夫の勝手な自信」などプロであってもこの様であるということ。

「絶対」なんて無いんです。

「すべて終了」(石屋さん)のあと念のため解体前に撮影していた画像を開いてチェックしてみました。

やはり焼香鉢の入れ替わりがまた発覚していました。

従事者感覚の違い(気質)があるのでしょうね。

私なら4件もバラバラにするのならそれぞれのパーツに養生テープでも貼ってしるしを付けますが。

 

画像は本山宗務所組織部からの案内。

そういう場合のことも「あり得る」ということでその指針ですね。まぁ私の大嫌いな検温は必要なのかも知れませんが。

しかし、その時は「お手上げ」のような気がしないでもありません。

なぜなら私が避難する身になっていることを一番に危惧しているからです。できるならば手を貸す方がいい・・・勝手な希望。