昨日も「土砂降りの春の嵐」を散々脅されたのでしたが、午前の法要から午後2回の本堂、墓前のあげ経まで一切降雨はナシ。
まったく有難いことでした。
特に午前は比木の山の中の墓地、午後は海の墓地そしてネコの納骨がありましたので終始冷や冷やの一日で、前日まではずぶ濡れ覚悟の「浮かぬ顔」でしたので。
法要がすべて終われば雨でも嵐でもご自由にどうぞ・・・という調子。
さて、先日は栃沢のシダレ見物の帰途、建穂寺近くを通って静岡の街へ出て奥方の買い物に付き合ったワケですが(私は駐車場の車内で昼寝)、その建穂寺については再び新しい発見があったと
いうニュースがありましたね。
以前はそのお寺に伝わる地蔵菩薩の修復についてクラウドファンディングの件、成功したの件伺っていましたが、今回は別の仏像の件です。
その小さな座像の阿弥陀さんが円空の初期作品であるとの判定がされたという番組に報道があったのですがその特集番組のコピーと仏像公開の画像をいつもの秋野氏に提供いただきました。
伝承では若き円空は富士山に修行に入って、富士権現から授かった鉈で仏像を彫り始めた・・・とあり、円空初期(20代か)に当時として大寺院として名があった建穂寺に立ち寄ってそれを納めた
のではないかとその富士山修行説をも裏付けることになったようです。
それにしても円空のイメージといえば荒々しくデフォルメされた仏像をイメージしますのでこの小品を見た時「えっ?」と思わされるばかり。そしてそのお顔ときたら作為的なのか削り取られていてわかりません。
この寺は以前も記した通り明治に入って廃仏毀釈でヤラれていますからもしかするとその手の不届き者の仕業か・・・
顔のない仏であっても専門家の目は違います。
上記の如くの大量製造の円空仏お馴染みの形態は殆ど齢を重ねてからのものだったようですね。
見るべきところは蓮華座の蓮弁だとか、出っ張りだとか岩座の上の蓮華座など特色は余るほどあるそうです。
背中の衣の表現(衣文線)も円空初期の特徴とのこと。
画像は秋野氏から提供されたものをキャプチャー。
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