テラスというか物置の整理とお彼岸でためこんだ花ガラの処理の一日でした。
処理場の係で顔なじみの方はいらっしゃいますが、昨日声を掛けられた方はおそらく初めての方だと思います。
マスク装着の時代につき、人の顔の認識は今一つ自信がありませんね。
境内で参拝の方に会釈されても「一体どなた?」という状況が多々あります。
まぁ作業員と思われて無視されているよりはマシですが。
その係の方が「私は親鸞に興味がある」との第一声。
「へ~え」でした。場所がらその語彙の登場には驚きです。
作業の手を休めて聞けば御門徒でなく檀那寺は禅宗といい以前池新田で催された葬儀で私を見かけて知りたくなったとのことでした。
宗旨とご開祖についてストレートに「聞かせてくれ」との件、大いに大歓迎。
しかし私のお話にならまだしも容姿を見ての「なんだこりゃ」のインパクトだったりして・・・。いずれにせよ真宗に少しでも興味を抱いていただけるのは有難いことです。
いつでもお気軽に・・・と言って気分よく処理場をあとにしました。
先般拙ブログにて「栄枯盛衰は一炊の夢」と「枕中記」を引っ張り出しましたがその「夢」について大人が子供たちに聞く例の「将来の夢は・・・」というヤツ。
ちなみに私はそのようなことは聞いたことはありません。
そもそも人の見る夢など「儚」の字の如くであって早いところ「諦めちゃえ」が持論の私ですからね。
敢えて子供へ問いかける言葉といえば「好きな事は?」ですね。
色々な返事が返ってきますがどれもこれも「楽しそう」「楽しく行きたいね」で締めます。
子供たちの大人への忖度なのか周囲と違う特殊な仕事を言いにくい環境なのか知りませんが、よせばいいのにその「将来の夢」とやらについて子供たちに聞いたところその一位が「会社員」だったそう。
それを聞く方も聞く方ですが、応える子供たちの大人たちへの気遣いたるやいかに・・・
妥当も妥当、驚きも何もないその「夢」とやら。もはや子供たちも達観の域なのでしょう。
たとえば石川五右衛門や日本左衛門みたいな世のため人のためになる大泥棒や悪いヤツを撃ち殺すスナイパー、はたまた裏金たんまり左団扇の政治家に官僚、はたまたヤクの売人・・・等々あったとしてもいいのですがね。
それも悪いオトナの絵空事か・・・
まぁ好きな事を仕事にできたとすればそれはしあわせなこと。
「イヤと思うことはしない、好きな事をする・・・しかし学生時代の多少の嫌いな勉強はしょうがない・・・」。
「どう?」と子供たちから聞かれればそれしかありません。
そこで「諦めちゃえ」を言うと親たちは困り顔をしていますが・・・。
息子も幼い頃は「サッカー選手」とか言っていましたがそれも私の口にしていたことで親の顔色伺いのようなもの。
親たちが子供たちを通して見るものが「夢」。
さて、本日も「女墓場」から。
先日の慶喜の墓近くにあったのが渋沢家墓域だったそう。
彼女もかなりのミーハーで大河ドラマ絡みで立ち寄ったようです。
まず①は先日アップし忘れた慶喜の墓の憲章碑。
渋沢の大成功は「時代」というがまさに能力を発揮できる土壌があったからこそでしょうね。
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