谷中にあった 「慶喜」の墓 その言葉正信偈に2回

昨日は首都圏からのお参りの方が午前とお昼すぎに2件ありました。2件とも自家用車の利用でした。

「解除宣言」の精神的な呪縛の解放が効いています。

午前は滅多にない時間帯、9時開式の法事でしたがいいお天気に久しぶりの静岡ということで時間を有効に使いたいという意図があったと思います。

 

墓地は静波にありますので法要後の墓参は解散後の再集合。

一旦庫裏に戻ると「大変だ」と奥方から。

牧之原インター付近でバスが炎上中で下り線も上り線も通行止と。

これから焼津に向かってお買い物・・・とのことでしたから「東名はやめた方がイイ」と伝えましたが既に車内でその情報を掴んでいたようでした。

朝、相良に向かう際は「吉田で降りたからセーフ」とのことで牧之原で降りる習慣のある方でしたら相当ヤバかったかも。

お昼に到着した方たちも同じく吉田インターで降りて150号で来たとのこと。

 

私など上下とも牧之原インターオンリーですのでどちらもタイミング次第でドハマリ状態になることは必至。

火災車両の後方に居た車両の大渋滞をテレビ画像で見ましたが吉田より先にいた車はまずアウトでしょうね。

 

私の知っている限りここ数年で牧之原インター付近でのバス炎上事案は3件目。

緩やかな登りが「上下とも続く」という(エンジン負担多し)講釈もありますがそれは疑問。

どちらにもあるようなアップダウンですからね。

一番の不思議は新車購入して少々、まだ時間がそうは経っていないピカピカのバスだったということ。

 

さて、本日も「女墓場」からのレポート。

考えてみればいい御身分です。

墓場放浪は人にやらせて私は家にいて好き勝手言っているだけ。

「今度甘いもの食わせる」とか「飯おごるから・・・」とはいってもそう簡単にその対価を提供できる機会はありませんからね。

しかしつくづく思いましたが東東京エリアを縄張りにチャリでお気軽にあっちこっち、特に上野浅草周辺の寺だらけ墓だらけの地にあって著名人の墓との遭遇は極めて確率が高いということ。無限を思います。

私からすればその御身と変わってみたい。

 

ということで谷中墓地。

徳川慶喜の墓がこちらにあったのですね。

まさに「慶喜して」訪れてみたくなりました。

あの墓地の形式も間近で見てみたい・・・

 

私ども真宗第一の経典「正信偈」にはその「慶喜」は2度に渡って出てきます。それが

「獲信見敬大慶喜」と「慶喜一念相応後」。

どちらも躍り上がるような喜びの意で以前もブログで記したかと思いますが正信偈拝読の際、毎度そのフレーズで徳川慶喜を連想するくらいですからね。

慶喜は静岡に縁がありますしやはり本多忠勝の血も・・・

 

谷中にはそのような出あいが各所多く散りばめられているのでしょう。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    野村庄右衞門幸正 (月曜日, 29 3月 2021 14:16)

    德川慶喜の家系の直系は断絶してしまったんですよね。とても残念です。分家はあるようです。四代目の德川慶朝さんという方はお子さんがいらしたそうですが離婚されてそのお子さんは德川姓ではなくなったそうです。血筋は続いていても家系はお終い。日本独特の文化ですね。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 29 3月 2021 15:33)

    ありがとうございます。
    もはや「家」の概念は殆ど死滅してしまいましたね。
    それぞれ子たちは家にとらわれず羽ばたいて新しいスタートをしていきます。