筑波山大御堂 昨日の「女墓場」は車でGOと

昨日の午前中まで酷い風はやむことはありませんでした。

庫裏の洗濯部屋の屋根が風で煽られてバタバタと音を立てまくりますのでこれでは屋根より先に「こっちがおかしくなる」とイライラも極まり「えいっ」とばかりに外に飛び出して脚立を立てコンパネの切れ端で押さえました。上部に煉瓦を3個ばかり載せて完了でした。

 

屋根を石で押さえるなど一昔前以上前の粗末な板屋根の家を思い起こします。

いずれは本格的に手を入れなくてはならないのでしょうが今のところはこれでヨシとします。

 

午前の法事は風のせいで体感温度が低くなってやはりストーブが主役でした。

午後からは天気が安定し絶好の行楽日和となって東京からは桜の開花のニュース。昨年と同日とのこと。

 

この分ですと桜の満開予想は3月末頃となって4月に入ると「緑」が目立つようになってしまうのでは・・・

今年のお寺の遠足は既に中止順延としていますが桜も楽しめるかも・・・と言う微かな願いを込めて4月14日15日にしていましたが、その頃だとまず東海以西どちらも1輪足りとも拝めない可能性がありますね。

 

温暖化時代の桜の見ごろは「3月末」が主になったような気がします。冬はぎゅっと寒くて暖かくなる春が急激・・・そのような感じでしょうか。

 

暖かくなって人々の気分は高揚、色々なお遊びイベントが人それぞれ企画されているのでしょうが、みなさん異口同音に「我慢の限界」と言っています。

ピンときませんね。

このド田舎に住んでいるからなのでしょうが私など大した我慢もしていないし、何ら「限界」など感じませんがね。

 

その言葉がまず人の口から出てくるということはこれから「無茶をやるぞ」の前振りのようにも感じます。

そのタイミングで「宣言解除」の大号令がかかったとしたら・・・「祭り」でしょうね。

=元の木阿弥ということなのでしょうがあくまでも私は傍観者としてのみあってそれには参加して踊らされたくはないものです。

想像するに病床でのたうち回り私独りでダンスを踊っている図が思い起こせます。国に打つ手立て無くやむなく宣言解除をするのだ・・・という「戦い方」をするというのはまさに運を天に任せるのと同様で無策。

国民の健康を放棄したにも等しいと思うのですが結局はもっともっと経済の疲弊を深堀りすることになるのでしょうね。

愚の骨頂を見せつけるのか・・・結果オーライとなるのか・・・分岐点が来ます。

 

拙寺は1、2月の法事について悉く順延するようにお願いしてきたこともあって3月以降、相当の法要の予定が入っています。

既に「解禁」された如く例年と同様になってしまいました。

中には自宅法要もあって少々気が重いものがありますね。

結局のところいつもの「勝手にしやがれ」です。

なるようにしかなりません。そういう雰囲気を国が醸し出してしまったのですから。

 

さて、昨日の「女墓道」は山女バージョン。

しかしながら著名な山には神社仏閣がつきものでその画像を送ってきました。

上手い具合に好天となって自家用車で筑波山へ向かったとのこと。筑波山はそれほど高い山(877m)ではなくて何故か「百名山」として名を記す山。

ここは一つお気楽気分でひょいという具合に行って来たそう。

 

画像は大御堂「おおみどう」。

その名称は私は子供の頃より拙寺本堂の事を「おみどう」と聞かされていましたのでそれならご本尊は阿弥陀さんと思うところがありましたが実は本尊は十一面観音といいます。

ちょっとした驚きでしたが、「おみどう」は「御御堂」がスンナリくるとはいえ「阿弥陀堂」→「あみだどう」「みんだどう」に「御」が付いてなまった呼び方「おみどう」を思い込んでいたからですが。

「堂」の頭に敬意の「御」を付けた「御堂」でさらにその上にただ「大きい」という意を付けたのかな。

 

昨日私が記した如く遠乗りも自家用車で人気の少ない場所ならまったくOKでしょう。

ただし緩みの人がどんどん増えて一カ所に人々が大挙するようになったとしたらそれはヤバい。

それでもまぁ深い山か墓場が安心な場所であることは間違いないでしょうね。

私は「平日専」いよいよタイミングを計る頃です。

 

テレビで見ましたがアジア系人種へのヘイトクライムでボコボコにぶん殴られる可能性のある米国含めた海外旅行など論外です。

日本人は自分のことをアジアンピープルであることがわかっていないのでは。

ローカルから見ればどのアジア人も一緒くたでしょうからね。

彼らは今コロナ発祥と考えられる中国の人に対してヘイトの目を向ける傾向があるようです。

 

やだやだ・・・どこの世界も・・・