温暖な遠州にあって寒地からの移住者に唯一「寒い」と思わせるのが「遠州の空っ風」でしょうね。
要は季節風、冬季の北西の風のことです。
これは平坦な地形以上にここでは通称「原」と呼ぶ台地上、それも西側の谷に近い場所というのは谷から吹きあがる風が強くなる場所。
ここのところ「春」を断言したくなるようなお日和になって油断がありましたね。
やはりより温暖な地の沖縄で秋に吹き出す「ミーニシ(新北風)」を思い出します。ずっと海に浸かっている仕事の身には応えました。ミーニシが吹くと内地に帰りたくなったものです。
「温かい」の意識の中で突然味わう逆パターンは心身ともに痺れますね。
昨日は原の、厳密には東萩間中原なる地の「仁王辻霊園」にてご納骨の儀がありました。新しい墓碑が多いのですがその墓地の名はどこか味わいがあって明治初期の茶園開拓団の墓碑たちも少なくないと言われます。
そちらの昨日の吹きっさらしはキツイものがありました。
参列者全員その思いだったでしょうが、施主の機転は素晴らしいものがありました。
私が「この強風でお線香に火が付けられる?」と振ると(境内であれば適宜ガスバーナーなど駆使しますがそれは持参しませんでした)「今日は焼香はナシで・・・」と言ってくれました。
風と火といえば各地で発生した山火事を思い起こすところですが今回の「焼香ナシ」は適格な判断だと思いました。
突飛に「風林火山」などいう言葉も思い起こしますが風に煽られた猛火で山谷を総なめさせることになりかねませんからね。
ということで冷え切った体の疲労度は高く、法縁終了後は布団の中に潜り込んで爆睡、夕刻になってようやく復活できたという次第です。「寒い」を感じることが如何に疲労度をアップさせるか(免疫力を低下させるか)よくよく感じます。
暖地の静岡に住まう私は、日本中、寒すぎる地はいくらでもある中、贅沢を・・・とは思いますがその環境に慣れ切っている身ですから。 私の耐性は温暖地仕様になっています。
さて、奈良に戻ります。あの時も寒かったですがお遊び仕様となれば少々心身の構えは違ってきます。
長谷寺の仁王門を潜ってスグ、圧巻の登廊(のぼりろう 399段)の右脇下の層塔に目が行きます。
それが道明上人御廟塔とあって長谷寺の開山といわれる道明上人を顕彰するもののよう。
凝灰岩製で風化が進んでいますので古さを感じますが「奈良県史7」では室町後期との指摘があります。無銘ということもありますが反りがのっぺりとしたところがその理由でしょう。
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