「宣言解除」の言葉が独り歩きしているのでしょう、各地で人出が増えているとのこと。
その言葉の意味は違えど国民の捉え方としては「元のように自由な世界が戻る」に他なりませんね。
いくらどうこうと国の方で添え書きしようとも末端にいる我らとしてはそう捉えることはやむを得ないことです。
よって「元の木阿弥」のリバウンドを想定しての遠足中止の決断をしたのでした(昨日ブログ)。
だいたいガースーの息子殿が主導して国民の税金で養われている上級公務員殿、「断らない女」とやらなどなどに一食7万円余のお食事ご接待の乱舞の状態を見聞きしていればあ奴らの言っていることを「まともに聞いちゃあいられない」というのは致し方ないでしょうよ。
タレントのビートたけしがニュース番組で「こういうことを言ったら怒る人がいるかもしれないが」と前置きしながらガースー息子の風体を「ヤクの売人のよう」と言い放ったのは言いえて妙。ニヤリときました。
あの感じはそう見えても不思議はありませんね。同感でした。
「怒る人」といえばご本人か本当の「ヤクの売人」なのでは?
「一緒にするな」と。
それにしてもみっともない絵でしたね。
「親の背中を見て子は育つ」とよく言われますね。
わたしも法話などで子供には仏の威厳と敬意と畏怖の存在を知らしめていく必要があるとお話させていただいています。
人とは自分の力だけでは生きていけない弱い存在であることを「強い父」が手を合わせて礼拝する対象があってその背中を見せるべきであると思いますがここは「どんな背中見せたんだい!!」と突っ込むところかも。
昨晩はNスぺの「プラスチックごみの限界」についての番組を視聴しました。循環型システムの構築によって未来(破綻寸前)を変えていくことに賛成。
これも私自身の問題でした。
ペットボトル飲料の購入を避ける・・・まずこれから始めようと思います。綿100%衣料にこだわってフリースなどプラ・ペット製品は絶対に着ないことなどは既に実践していますがね。
その番組の直前は大河ドラマでしたが今回初めてそれを視聴しました。たまたま冒頭部分で「阿部正弘」の文字が目に入ったからでしたが、先日、高速道路上で見たトラックに記されていた家紋「違い鷹の羽」を見て助手席の奥方に講釈したばかりでした。
奥方は今回こっそり大河を最初から観ていたようですが、私が阿部正弘が出てくれば「あの家紋も見られるぞ」と言えば「着物の紋にそこまでこだわるワケない」と言い出しましたので私は「甘い!!時代考証も風俗交渉もそこのところは厳しくやるはず」と問答となりました。
結果は私のアタリ。
しっかりと違い鷹の羽が画面からハッキリとわかりました。
何故に阿部正弘かといえば大奥女中帰りの波さんの持ち帰ったあの着物の裏の生地の紋がそれでした。
限りなくこじつけに近い・・・と呆れられるところかも知れませんね。
さて、先日高速道路場で見た家紋というのは息子の引っ越し手伝いからの帰り道でした。
信じられないように広い唖然呆然の間取りの家で驚くばかり。家賃は勝手に苦労してくれ・・・というところで大きい荷物、といっても主な物は冷蔵庫と洗濯機とテレビの搬出搬入の手伝いをして早々に帰宅しました。
もやもやが他に残ったのは地元のレンタカー屋で軽トラを借りてきたこと。
普段ならその軽トラを駆使して動き回っているのにお金を出して借りてくるとは・・・なんとも。
当初は一応「それで行こう」との提案も奥方から却下されて、安心安定の四駆車で向かったのでした。軽トラ高速行脚は疲れますからね。
今度の家の素晴らしさを一つ挙げればお寺から「徒歩1分(もかからない)」という利便性。
寝坊という大チョンボをしでかす傾向の彼には絶好の立地でしょう。
そしてガースーの御曹司の奇異なご様子について記しましたが「そんじゃあお前の息子はどうだ」と言われるのは当然でしょう。生憎私の背中にはカネの臭いも名声も地位もないしがないド田舎の貧乏寺の学ナシ品格ナシの坊主の背中から染み出すものしかありませんのであえて見せられるものといえば突発性の挙動のみ。
いい意味でいえば「意表を突く俊敏迅速な動き」ですね。
そういえばそれって案外大切なことなのかと思うことがあります。
エライ人達は今大抵「スピード感をもって」と同じ語彙を好んで使用しますがそれを連発するということはそもそも遅延感満載だということ。
どなたかが記していましたが「スピード感をもって」など語句は「日本語になっていない」といいます。
要は「俊敏迅速に」と言えばいいのに「私の立場」で「早い」を感じればイイという変な言回しなのですね。
帰りに息子がお世話になっているお寺に立ち寄ってご本尊、住職、副住職に敬礼。お育ていただき有難く感謝、今後ともよろしくお願いしたい旨丁重にご挨拶させていただきました。
ていっても息子が言うには「ずっとしゃべりっぱなし・・・」と苦虫状態でした。
現状何とかやってくれているようです。
先方は大分その息子の性質に困惑しているところもあるようですが、背伸びしてもしょうがない、ありのままでやらしていただくほかありませんからね。
まぁ世の中広いといえども「ありのまま」がある程度許容されるという組織は真宗寺院くらいしかないかも知れません。
親子ともども如来さんに甘やかされている・・・といったところか。
「現状」と記すのは「人」とは根本的に信用がおけないからです。未来はわかりません。勿論それは自分筆頭に。
いつ「ヤクの売人」になるやも知れず。
無常を表す「物皆幻化」四文字熟語については先日記したばかりでした。
画像は息子がお世話になっているお寺の今年のカレンダーに添えられた文言。
息子の名が見えますがまぁあの文言を自身の頭で考えたのかについては棚の上に置いておくことにします。
私は毎度の如く①そのものですね。
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小山昭治 (月曜日, 01 3月 2021 08:39)
ご無事に、順調に育てられていることうれしいことです。
ナマジ、金持ち寺でなかったのが良かったか。
あまり偉くなられても檀家がついていけません。
うらやましいばかりです。
今井一光 (月曜日, 01 3月 2021 20:00)
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
(今のところ)精一杯立ち回って行きたいとおもっています。
あとは息子が「何時帰ってくるの・・・」がテーマです。