堀底大手道 藤枝仮宿朝日山城と御屋敷

「ばんたびアルコール消毒」のマスク生活には慣れてまったく苦にならなくなりました。

外出時についそれを忘れて恥をかくことが無いよう、車の中に「置きマスク」までしています。

家の中ではマスクを外していますので玄関で呼び鈴が鳴った時などはそれを着けることから始まりますので少々時間を取るようになりました。

そういう手間含めてすべてか何気ない習慣になっています。

 

先日はショッピングセンターに奥方と食料品類の買い出しに。

いつもは車の中で待っている私ですがその日は店内まで同行。

今マスクは不織布マスクの上に布マスクの二重は当たり前です。

その時は人の多さを見て首巻を鼻まで上げてトリプルでの対策でした。効果はわかりませんが、しないよりマシだろうという自己満足です。ただし人相は悪いものがありますが。

勿論各持参している携帯用アルコールボトルにて「何か触ったら一吹き」を心掛けています。

これから暖かくなって3枚重ねはさすがにムリですが、2枚はアリかも知れません。

ただしそれでぺらぺらおしゃべりをしていると知らないうちにどちらかのマスクがズレていて恥ずかしい様になりますから気をつけないと。

 

そのトリプルマスクの形相について「奥の墓道」氏に、どうだ・・・という具合に評価を問えば、「悲しいかな 目が出てる」と。

それは仕方ないところでしょうが、そこは「目をつぶってください」・・・

 

さて、登城路の掘底道について昨日勝手な推測をしましたが、小さめ城塞に見られる大手、堀底道の当地近隣の城址としては藤枝仮宿の朝日山城を思い出します。

「御屋敷」なる根古屋を思う古字の地を前面とすればその背後の城塞への登城路は大手道を推測します。それはまさに竪堀。

堀の規模は大きく、その道を攻め上るには左右上部からの横矢・横槍・投石の猛烈を覚悟しなくてはなりません。

現在はその形状は現場ではよくわかりますが、画像にすればただの茂みにしか見えません。

そして今の登城路はその空堀に並行して小径が作られています。

 

「駿河記」の「朝日山城跡」記述(城郭大系)。

「此処は本城にて、山麓の万福寺(廃止)の後山が平居住の処ならむ。岡部氏数世所拠之なり」」

 

上記「御屋敷」跡からは陶器片の出土があったそうで、規模は100m四方。典型的な国人領主の館を推測します。