木津川の採石場から 在士の大坂城残念石 高虎公園

世の中三連休とのこと。

何処にも行く予定はありませんが家の中も外も寒すぎて動きは鈍くなりがち。それは全国的に、いい御身分なのでしょうね。

テレビで見る各地ドカ雪の様子を見て「降雪ナシ」の当地がいかに素晴らしい場所かということをあらためて認識します。

いつもこの時期に思うことですが。

そういった雪の風景に、ついつい「情緒的」と思いがちになりますが毎度メートル単位で降り積もる白い悪魔に対して地元の人たちはそのような考えは微塵も浮かばないでしょうね。

何せ「死」と隣り合わせの世界ですから。

 

雪下ろしの命がけの件、聞いています。

年配者が屋根に上って転落し雪の中に埋もれてしまう悲劇、当遠州では100%ありえないことです。

ここ相良は恵まれた地。ボヤキなどはもってのほかですね。

 

そういうことで朝から外仕事でもと「さぁ」と気合を入れなおしました。すると奥方が「なにもこんなクソ寒い日に外に出ることはナイ」と。

それは一理あると従順に一日中家のストーブの前で凍えていました。

 

各地で聞く停電騒ぎ、流行りの石油温風のタイプは強力に温まりますが電気が停まれば完全にアウト。

灯油にライター、マッチで点火する昔ながらのストーブも残しておけばイザという時にも安心です。

水道管の破裂の件も酷いものですね、外部ならまだしも家屋の中に配管されたものが破裂した例をみましたが家じゅう水浸し。

少しでも早く暖かい春の到来を待ちます。

 

さて、一昨日は相良仏教会の会長から「新年会はどうする?」の一斉メールの打診が入っていました。

毎年1月下旬から2月初旬にかけて催される懇親会ですが、一斉に各寺院より「今年はやめた方がイイ」の返信があって中止が決まりました。当然でしょう。

 

昨年の12月初旬でした。当流寺院組会の新年会の案内が来ていましたが、そちらもさすがに無理でしょうね。

私はそちらの会は最近はずっとご辞退させていただいていますので(その店で強烈な食あたりの経験があったことから)早々にお断りの返信をしていましたが・・・。

 

そういった会について「20時まで」という国からの達しがありました。面白いことにデパートやら観劇やら一斉に20時までにおしまいになるようなスケジュールを出してきましたね。

たとえば観劇などスタートを早めるなどしてそのシバリをクリアしようというものですがその「20時って何?」というところの根拠が知りたいものです。19時はOKで20はダメの論拠。

 

新コロ感染に時間の早い遅いの区別があるのか・・・というところ。テキトーでしょう・・・まったくバカみたい・・・そして入国制限の件、やっぱ「ビジネス来日はOKにします」は耳を疑いましたね。

「〇〇みたい・・・」どころの話ではなくもはや「底なし」。

正気の沙汰ではないということですよ。

南アの変異コロナの国内導入の「窓口」を開けて「ようこそ」と招き入れるようなもの。

感覚がズレてるとしかいいようがありません。

国民を地獄に突き落そうとでもしているか如く。

 

さて、先日は大坂城の刻印石広場の件「石材は主に木津川からの船舶をもっての輸送」と記していました。この「大坂城」とは大阪夏の陣が終わって即座に幕府、秀忠の手によって着手されたものです。

 

大坂城普請事業で石垣といえばその道の名人と言われた藤堂高虎がいましたね。

拙ブログでは木津川周辺の加茂と言う地の石仏・摩崖仏について記していますがこの地はそもそも花崗岩の豊富な地。

摩崖仏はそういった大きな露出巨岩に鑿(のみ)で穿って仏像を表現していくものですが、こちらはそもそも花崗岩の採石地としてもあったわけでありまた高虎の領地。

 

今もその支流には大坂城に運ばれることなく切り出されて放置されたままの「残念石」と呼ばれる石材が散在していますがそういった石たちには藤堂家の証である「曲尺-かねじゃく」が彫られています。

 

その木津川から運ばれてきたといわれる「残念石」が在士の八幡宮の近く、高虎公園に設置されています。

この石は人目に付く明るい場所で幸せです(場所はこちら)。