河(川)尻の名残すまじ 武川衆出自柳沢吉保 永慶寺跡

東京は日曜日の最高記録を更新しました(556人)。

日曜日がそうなると木金土の数は度肝を抜かされるほどの人数となるというのがこれまでのパターン。

「どうすんだよ~一体・・・」と思うも傍観するのみ。

奥の墓道氏はもはやここまで来ると「どこまで行くか楽しみ・・・」との無茶言い。

新コロの変異種、これまでより7倍(7倍→70%が正解でした)感染力の強いウィルスの感染が急拡大しているというイギリスからのニュース。

海外入国者の緩和の件先日来ありましたが、再度締めていかないとヤバいのでは。

後手後手対応はカンベンしていただきたい。

 

当県といえば富士が病床使用率100%に至ったというニュース。県央地区では50%台にはなっていますが榛原病院で毎日のように陽性者が出現しています。骨折して搬入されリハビリ病棟で感染して亡くなった方もいるとのこと。

体調不具合があっても受け入れし難くこっちも病院には行き難い・・・ということ。

この冬病気も怪我もタブーですが、老若男女そこのところ「人間ノハカナキ事ハ 老少不定ノサカヒナレハ」(5-16白骨の御文)ですからね。

 

何をやっても結果的に罹患したとしたら「軽率」の誹りを受けて「申し訳ございません」と謝罪しなければならない世の中になっていますがその割には一旦緩んだ能天気は続いているような。

 

そして周囲でもぼちぼち新コロ陽性の話が入ってきています。

牧之原市内ではありませんが横浜の「奥の細道」氏の同僚が陽性判定から2週間、初めて会ったと。先日その顛末を聞いたそうで「はじめてコロナ経験者と話をした」と。

同じく神奈川県在住の妹の夫やその息子の同僚に「陽性者が出た」との報がありましたが、昨日は友人の「墓場の山女」から「甥が新コロにかかった」と。

首都圏の学生とのことで「友人と飲みに行った」といいます。その友人と仲良くコロナ感染ということですが、飲み屋はまずかったかもね。

高熱が出て解熱剤を飲んだそうですがそれって結構うまくない場合があるようですよ。詳細は各お調べください

とにかく親戚友人の周囲からボツボツ出て来て、包囲網は狭まっている感。おそらくどなたも「勝手にしやがれ」ではあるもののそうなったとしたらここまで放置したお上のやり方は恨まれるでしょうね。

 

夜の大河ドラマは「蘭奢待」がテーマでしたがそこまでクローズアップするとは思いもしませんでした。

それでいて三方ヶ原から信玄の死、姉川に朝倉、浅井の滅亡まで詰め込んですべてがあっという間。

これでは本願寺11年の話も無かったことになりそうです。

尚、信玄の死は野田城での狙撃ではなく病死説の採用の様。

まぁ今井宗久の台詞に蘭奢待の件、「信長は頂点の景色を見たい」とありましたがこれには仏教的示唆があったかと。

六道輪廻「天道」の有頂天。

この件、私は「一夜にして地獄に堕ちる危うい場」とよくそれを引き合いに出しています。

 

そのあとの番組はNHK「パンデミック」。

ワクチン開発と接種についてアメリカ等諸外国との差について歯がゆさを感じました。

司令塔の有無が原因といいますが、論文数世界の16位も決定的な差だとも。

「科学立国」との声はよき聴きましたが「実態は違う」と。

まぁ一言で科学を蔑ろにする政治というものが思い浮かびますがね。

やはり人材不足が顕著とのこと。

非正規雇用の研究者、研究のぶっ通しでも給料月3万円、「喰っていけないのでやめた」というニュースもありましたね。

日本の科学の低迷する重大な要因だそうです。

若手の研究者がそれをやめて現場を去らなくてはならない、バイトで食い繋ぐ・・・不可思議なこと。

 

さて昨日の信玄火葬墓の近くには柳沢吉保の菩提寺永慶寺跡があります(場所はこちら)。

 

高校日本史では「メッセンジャーボーイ」として教師が話していたことが思い出されますがいわゆる「側用人」のことですね。ただしそれほど軽々しいものではなく将軍の「お側」に抜擢されるなどすれば殆ど「老中の上」。彼は綱吉の時代に出世して側用人から老中、大老格まで上り詰めた人。

 

もともと柳沢家は甲斐武川衆を出自として武田家再興(高家武田家)を生涯心に置いていたといいます。そして念願の甲州所領を得て恵林寺にて信玄の回忌法要を行っています。

当然に自らの武田家出自を強くアピールし武田贔屓の施政が強く出ているようですが面白いのは河尻秀隆時代にその配下の者たちが住んだといわれる「川尻町」なる町名が甲府に100年以上も残っていたそうです。

それを廃して町名を変更したということ。

武田家を滅ぼした河尻(川尻)の名を甲府に残すなどあり得なかったのでしょう。

 

画像は黄檗の永慶寺跡。柳沢吉保家菩提寺でした。今は大和郡山へ。