敵を悩まし休ますな 信忠付河尻の影武者 四戦紀聞

新潟方面のドカ雪も凄いですがかの東京の新コロ新規感染者の数も凄いですね。

ガースー君のステーキ七万円の豪勢と密会食など吹っ飛んでしまいそうな世の無常。

都知事殿は意気軒高。

あいかわらず「検査数が増えてます」とその強調(言い訳)をしていますが、陽性者の推定される絶対数は変わらないのにね。

だったらもっと早くから検査数を増やして無症状感染者を洗い出す努力は「どうなんだ」と思うのが庶民感情。

 

昨日お寺に農家の檀家さんから「切り干しができたよ~」と持参くだいました。

今年は「今日でおしまい」とのことでしたので聞けばほとんど猪にヤラれてしまったとのこと。よって「デキがよくない」と。例年ならば大晦日くらいまで干芋に関わっていたともいいますのでそれだけ収益も減っているのでしょうね。

孫は東京に居て春以来帰省していないので年末年始こそ帰りたいと言っていたそうですが「今は帰って来るな」と告げたとのこと。

その方のご主人は心臓関係の病を患っていますから仕方ないでしょう。

東京の民間の検査体制もぼちぼち出てきましたが予約でいっぱいだそう。本当に何故にして民間ができることを国ができないのでしょう。検査で陰性がでてスグならば「動いても問題ない」でしょうからね。まぁその無策が結局自分たちの首を絞めることになったのでしょうか。

せめて庶民は巻き添えにしないでもらいたいのですがね。

 

その方が言っていましたが「わたしゃステーキなんか食べたことが無い」と。「誰が支払いをしたかについてはテレビでは言っていなかったが割り勘ということはない。どうせ税金だ。」と言い放っていました。

 

さて「四戦紀聞」なる読み物があります。

一言で「戦記物」ですが、私の所有するものは「根岸直利 編輯 木村高敦 校正」の冊です。

「四戦紀聞」の通り「四つの戦」姉川・三方ヶ原・長篠・小牧長久手の戦いについて各1冊で4冊の形式となります。

江戸期になって神君家康にまつわる歴史を編集しようと纏められたものですね。

この手の物語は各あって時に矛盾を生じさせて後世の混乱を招きますがこの書物に関しては相当以前に私が三方ヶ原戦での成瀬についてあたるには・・・ということで小和田哲男先生にうかがったところ「とりあえず四戦紀聞を」ということで手に入れた代物です。

 

①「四戦紀聞 長篠 三」表紙。②参州長篠戦記となっています。

名だたる武将オンパレードでこういった書物をあげるとそれぞれの人物を追いかけたくなるというのが心情。

一人の人物にスポットを当てても長い歴史がありますから、時間と年代そして末裔まで辿れば本当にキリがないくらいで・・・。

だから面白いのですがね。

 

どうして武田は不利な状況を省みずに進撃して殲滅させられたかという長篠の謎について。

結果論ですが攻めなければ負けはなかったというのは誰もが思うところですからね。

 

先日来連合軍は馬防柵の内側に籠って「弱虫」を見せつけ大軍は裏山に隠し武田方には大いに油断をさせたことを記しましたが、当初は「口だけ」応戦(相手の罵詈雑言に)のみに徹し、ひたすら馬防柵間近までおびき出し、引き付けて(~その間一町迄は火砲を放つことなかれ 間近く引き付け~)鉄砲玉の餌食にしようという作戦だったことはわかります。

 

その四戦紀聞にそのあたりの信長の策について触れられています。

「信長は兼ねて期したまふ これなれば敢えて旗を動かさず最初の極楽寺山に控え信忠へ~」と主将信長の本体は一段引いた極楽寺山に「控え」るとあります。

信長本隊は前面に出れば兵力の差を見せつけて相手の戦意を喪失させてしまいますからね。

そもそもあの馬防柵の裏側にそれだけの大群を置くことはできるはずもなく。

 

そこで信長の機転は川尻(河尻)与兵衛鎮吉・・・河尻秀隆に命じて信長の甲冑を着けさせて「諸手軍の駆引」、最前線で馬で走り回って指揮すべし・・・です。信長の代官として指揮系統を任せるということですが殆ど武田勢からすれば目の前の柵の中で敵の大将が小軍勢を前に威勢を張っているように見えたでしょう。

 

要は疑似餌のようなもの。

ここで一気呵成に攻め立てて今そこにある敵の総大将の首を取って決着をつけようとそう思わせたこの作戦の締めくくりだったのでしょうね。「神君と相謀り」とありますが、さすがに家康ヨイショの書物ですからそうは記していますがその件、信長の狡さを思います。

 

記述の「火砲の卒三千人」の記述が後世独り歩きして「鉄砲三千丁」になったのでしょう。

 

間近まで引き付けたら「千丁立替々々発すべし」。そして敵が尚進んできたら柵の中に設けた虎口より柵の中に引き入り、また進んで「兎角敵を悩まし休ますな」。

 

まさに勝戦の常道。

またそれにハマれば負戦の常道。

新コロを甘く見て突撃(Go To)した無能の将の戦術にたくさんの兵の死屍累々を見ているというのが今だったりして・・・

トーキョーの悲惨はピークなのかさらなる悲劇の序章なのか・・・危惧に終わればいいけど「今日4ケタでした」なんて言われてもね。

 

敗走できたとしてもとことん追撃されますよ。

 

④は『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)にて馬防柵の内側。

鎧兜の馬上で指揮する河尻秀隆(右上)。永楽通宝の旗印があって左側には馬上の信忠が。

武田としてはマヌケな敵将が柵の中で喚いているようにしか見えなかったのかも。

河尻秀隆は黒母衣衆筆頭、信忠に付けられた筆頭与力でもありました。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 18 12月 2020 08:56)

    講談師 見てきたようなことを言い。
    想像すると面白いでしょうね。ついつい引き込まれます。
    私がISSを見ながら手を振りたくなる。「お~い 野口さん 見えるかねー」
    想像は人間の才能ですね。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 18 12月 2020 18:39)

    ありがとうございます。
    勝つか負けるかのストーリーには例外なく人間そのものの「その時」の心境が現れますからね。それぞれの心の内を考えるととても面白いですね。
    本能寺の「是非に及ばず」の件も嘘なのかホントなのか、ホントだったら後悔はあったのか・・・有頂天から無常の流れに身を任せることへの境遇としてそれが真意だったのか・・・勝ちの裏には敗けが往々にしてセットで控えていますからね。
    お調子にのった挙句地獄に堕ちるということでもありますから。日常の生活にもその件
    ある、ある、と意識することも肝心。懺悔・反省です。