「鬼滅刃」で覚えた名号 設楽原諏訪神社のお百度石

大河ドラマは信玄の登場があってから「いよいよ、三方ヶ原・・」と思っていれば昨晩のそれは案の定、家臣からの報告「大敗したとのこと」の台詞のみでおしまいでした。

それはそうでしょうよ、明智とは関係ないところですからね。

 

一応、信玄の躑躅ヶ崎のシーンがありましたが、ブログにてここ二日間記していた「諏訪法性の甲」がチラッと映る演出がありました。

何故か正面は鎧だけで甲の正面はカットされていて後ろからの図がサラッと映されるのみでした。

あとは設楽原で武田家滅亡を予兆させるシーンとして勝頼がそれを打ち捨てるなどの演出があるやも知れませんので期待しています。

 

その後はチャンネルはそのまま「新型コロナ“第3波” 危機は乗り切れるのか」。医療従事者の悲痛な叫びを聞きました。

 

昨日は法要でご自宅お内仏でのお勤めがあがりました。

私は焼香鉢に炭に火を入れて持参していますが仏間には小学校低学年の子供たちが大人しく4人座していました。

そういう場合、オトナだけの時は最近は右利き文化のお話をさせていただき焼香鉢を廻す(廻し焼香)際のその向きについて気を付けて・・・と寅さんが映画の中でそれを間違えて炭の方を持ったため「あっちち」と投げた炭が坊さんの襟の中に入ったドタバタシーンがあったことを紹介したりしますが、子供たち同座に話す場合はまさにストレート「ぱっと見て火に見えないがコレは火です」と実際に煙が立ち上がる様子など見せて親たちにも注意喚起をします。

子供は案外この炭の方を触ってしまうものなのです。

 

その際、お調子にのってお香の講釈を少々しました。

「最近ではお香は心と身を落ち着かせ精神を集中するために使われるようになった」などと勝手な思い、そして「拙寺の沫香」の自慢話は寅さん風「世に多くのお香が出回るがこの代物は正真正銘の沈香 その辺の木屑削りかすの類には非ず~」の口上の如くとは言わないものの「一番の物といえば正倉院の御物 蘭奢待である」まで吹聴。

その件奥方に伝えると「お前はアホか、小学生に『じんこう』や『らんじゃたい』がわかるか?」でした。

 

それでいいのです。

その語はいつかまた耳にする機会があるはず。

潜在意識の中にあって「聞いたことがある・・・」「坊さんが言っていたかも・・・」などと思い起こしてくれれば有難いこと。

ちなみに来週の大河のタイトルが「信長公と蘭奢待」でした。

 

私がそれを「子供たちに」伝えたことを呆れられることは致し方ないにしろ、子供たちから逆に学ぶ事は案外ありますよ。

それが今市中をコロナ同様席巻している「鬼滅の刃」とやらの件。

この日は子供たちそしてそれを支持する親たちの前でその疑問を投げかけることができました。

 

親たちお祖母さんも含め「子供がそれほどハマっているそれを興味本位で観たが、面白くてハマった」とまで。

私は「まったく興味ナシ」の身で、まぁそれはその時代の子供がいないせいもあるのでしょうが、むしろその件どうでもイイようなことでしたが・・・そこまで・・・とは驚かされました。

 

私の質問は親たちまでそれに流されているとすると「クラスの友達みんなもそうなの?」です。

するとまったく興味のない子もいるとのことで少々安心させられました。

報道を見ていると子供たち全てがその虜になっているように見受けられましたが、どうやら「首が飛ぶ」などの残虐シーンがあってそれがダメな子もいるとのことでした。

 

でしたらここに4人子供たちが揃っているので「みんな鬼滅ファンなの?」と聞き返してみました。すると2人は興味がないと。

となるとざっくり50%ということです。

日本全国の子供たちの心がそれだけに向いてしまったら「コマーシャル」の面ばかり(大人の思惑)前面に出て「なんだろな~」と思わされていましたがここでも少々の安心を得られました。

ただし新コロさえ凌ぐ圧倒的な勢いがあることは敬服させられます。

 

そして子供たちから教わったこと。

本堂の本法要のあと「南無阿弥陀仏」は「鬼滅の刃で何度も出てくるよ」と。

驚かされましたね。アニメやスクリーンで見た名号や称名をお爺さんの法事で目にして耳にするという偶然。

その流行に有難さ(有ることが難しい)機縁を感じました。

 

さて、設楽原、連吾川を見下ろす勝頼の才ノ神本陣ですが、その直前の勝頼の陣は現在の新東名新城IC近くの高台にありました。

その前は長篠城北側の大通寺の裏山でしたが、戦線の移動とともに本陣を移動させています。

 

その新城ICから才ノ神の陣移動について思うとやはりこの道を通ったと思うのが昨日記した甲田を右に見て左前方の才ノ神へのルート。

その途中に諏訪神社があります(場所はこちら)。

勝頼の心情として「ここでお参りしたに違いない」と決めつけて階段を上がります。

 

直接戦いに関する何かは見当たりませんがお百度石が目に付きますね。

古い民間信仰の一つですが戦勝祈願成就を期してそれを行ったという話もあります。

本来は「100日」だったものがその日に100回でもOKなどと簡略変遷。

 

石と神仏の堂前をぐるぐると回って回数を重ねるワケですが、きっと「忙しいので代わりにやってもらうのもOK・・・」などの荒業があったかも。

ガースー君は赤坂の料亭へのお百度とのこと。

そちらでどなたに祈願しているのかは知りませんがそちらで「マスク会食」等の新提案を発案しているとのこと。

 

そちらではマスクを着けての会食はできたのでしょうか・・・

芸者をあげての賑やかと聞きますが・・・。

日夜身を粉にして新コロと闘う医療従事者の恨み節が聞こえてくるような。

 

この丘からは正面に新城ICの道の駅「もっくる新城」の建屋が見えます。