除夕鐘追記 スタッフも不参加自由 蓮如さんの沙汰

昨日の東京は572人。全国の感染者2803重傷者555人に死者28人という数字。この東京の数字からすると木金土のどこかで600超えなどがあり得そうです。

 

先日は拙寺の除夕鐘について総代会で「やります」とは決めたのでしたが昨日、80代の総代から「当日は外してほしい」との依頼がありました。

当然かもしれません。

そもそも主催者側としてのスタッフ、ボランティアの皆さんであってもその参加についてはまったく自由意志ですからね。

参拝も鐘を撞く撞かないも自由ですから運営参加も勿論のこと。どうにでもなりましょう。

 

ということで今回はスタッフのお手伝いに関して75歳以上の皆さんは遠慮しようということになりました。

そもそも高齢者というと65歳以上といいますが、それを採用すれば、殆ど寺に人は残りませんからね。

 

先般、夜間避難訓練が直前になって中止になった経緯がありますが、それは各地区代表者の会合で「なんでこんな時にムリにやるんだ」と罵声に近い強い質疑があったといいます。

まぁそれで御一同「それもそうだ」ということでその結論に至ったのでしょう。

別の総代さんが昨日も来られてやはり「何かあったら恥ずかしい」とありましたのでその「75以上ご遠慮」ということにしましたが、お寺としての「恥」の危惧はどうでも良いこと(病気になって恥じ入る必要なし)ここへきて少しばかりの難しくなったテーマをやっつけたいという気持ちが大きくなりました。

 

まぁ蓮如さんの御文「疫癘」を持ち出したとしても理解を得られる状況ではないのも分かっていますし、我を張って「Go To」に拘るソーリ殿もそろそろ弱音を吐くころで、ちょうど月末頃には当田舎の感染者も減る・・・などの楽観はイケませんが「タイムキーピングによる境内滞留無し」と基本的対策をしっかり行って油断なくすごせれば・・・と考えます。

私的には寒さの方が余程手強いと思いますし真宗の坊さんとして蓮如さんの沙汰について「信心がなってない・・・」などと嗤われると思えばそれほどの恥はないですからね。

 

基本やることはやらせてもらいますが「なるようにしかならない」「おまかせ」がスタンス。

ご賛同を得られなくともそれも自由。おまかせしま~す。

沙汰の件記しましたので御文から蓮如さんの沙汰について。

 

一帖-十二

「そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もつてのほか相違せり。そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。

いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでもひとよりさきに飲み、座中のひとにもまたそのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、まことに仏法の肝要たるやうに心中にこころえおきたり。これさらに往生極楽のためにあらず。

ただ世間の名聞に似たり。

 

しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、

一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道断あさましき次第なり。

所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。

これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆゑなり。 

    あなかしこ、あなかしこ。 [文明五年九月下旬]」

 

①は京都山科別院の蓮如さん②は昨日の拙寺境内親鸞さん。

色づきは遅くなりました。

③は奥方がカンカンに怒り狂った現場。

先日貼ったばかりのところ、ヤラれました。何度中央突破されたでしょうか。④その下手人の様。