好天につき島田蓬莱橋を渡る 10年以上振り

昨日は平日の法事でした。「土日以外で」という家も少なくありません。業種によって休みは違いますしね。

そして、法要の施主の形態もいろいろあります。嫁ぎ先は当然別のお寺ながら実家の弔いほか法要は家を出た娘が執り行い菩提寺との関わりを繋いでいくというものなどです。

要は二つのお寺との関わりを維持していこうというものですが、未来永劫その継続を望むことは難しいでしょうね。

 

本日の法要も三姉妹すべて嫁いでいたことからかつて同じ旧姓を名乗っていた3人と代表者の御主人の4名での法事でした。

そのご主人とのお話。

「うちのお寺の住職は小学生の子供を残して亡くなった。幸い前住が健在だったからその成長まで何とかやっていけそう」と。そして続けざまに出てきたお話がその姉妹の一人、ご主人が先般亡くなったこと。

葬儀の依頼をと菩提寺に連絡しようにもまったく音信普通で困り果てていたところ、住職は亡くなったばかりだということがわかったそうです。その前にその寺の前住職が亡くなっていることを知っていたものの続けざまの悲報の件大いに驚いたそう。

そのピンチヒッターに赴いた住職がたまたま私の存じ上げる方でさらに私も驚いた次第。

 

するとそのご主人は私に「住職と息子は大丈夫だろうね・・・」でした。

まぁそれほど周辺のお寺の主が亡くなっているところを目の当りにしての言葉なのでしょうが、その言葉への返答は窮しました。

仕事がら「人が死ぬのは当たり前(定業)」を吹聴している私が「私は大丈夫」など口が裂けても言えません。

「大丈夫」とは「私は死なない」ということで、「ダイハード」シリーズは好きですがそれは映画の世界ですからね。荒唐無稽のことなのです。

 

私は「息子はおかげさまで横浜で坊さんをやってます」と答えになっていない返答をしていましたが、その方も質問が少々無茶だったことを感じたようで「つまらんことを・・・」とそれを撤回したい様子でした。

私はそれは「後生の一大事」、「逃れ難き無常」だが、その時までうまいこと行きたい(生きたい)ものと。

「定業」のそのタイムリミットは人それぞれ、誰も分かりませんからね。

ただ、例外はありますが「齢を重ねること」に比例して近づいてくることは確かなことです。

 

昨晩のニュースに「緑豊かな環境が心血管疾患による死亡を減らす」(米マイアミ大学)という記事を見ました。

山歩きをしていてその環境の良さに「体に悪いワケがない」と思っていましたが興味深い研究発表です。

相良はまだまだ緑が多く、ただここに生活しているだけで都会でのそれとの優位性を感じました。

やはり緑はすばらしい。長生きができるといっても過言ではないようです。

 

さて、昨日午後は何となく島田のS.C.へ。奥方が食料品を買い求めるためですが、私はいつものように車で待機。要は昼寝タイムです。

その前に久しぶりに「向こう岸まで」ということで渡賃一人100円を払って大井川を向こう岸まで。山側から吹く風は少々冷たく感じました手が、まだまだ「温かい」の部類。

 

蓬莱橋はとても身近、周辺からその全景を見ています。

時に橋を眺めるために車を停めてることはあっても最近は橋を渡ることはありませんでした。

のんびり観光気分でそちらに行く意味はありませんので。

ということで何せ久しぶりのことでした。

 

ここを向こう岸(彼岸)に渡ったのは私一人で台地を上がったとき。

そして吉田まで歩いたことはありましたが、思い出としては母と息子を連れてこの橋の上でスナップ写真を撮ったこと。

母親を思い出す場所でもありました。

「次来るときはどんな時?」楽しみではあります。

私が息子に撮られる番とすると、この橋はトコロテンの押出器なのかも。

 

橋も私同様、各所に痛みが来ていますね。ギシギシいっていました。橋の方がヤバイかも。

④橋脚は鉄筋コンクリート。往復すれば1.8㎞。北風ビュービューともなれば苦痛以外の何物でもないでしょう。