浄瑠璃寺から西小墓地の中間 長尾阿弥陀摩崖仏

寒くなって大阪もやたらと感染者が増えてきましたね。

日々感染者数の数が各地で増えている様子がわかります。

ひょっとして選挙があると感染が増えたりして。

大量動員の規模の違うアメリカは超絶の感染者数を誇っています。

 

奥方が「暖かい何か着るものが欲しい」・・・と言い出して流行りの「フリース」名をあげていました。

それを聞いて私は「そりゃアカンやつや・・・」と一蹴。

「やっぱ綿(100%)でなきゃアカン」です。

 

海洋汚染の最たるもの、プラスチックはことにその厄介さについて耳にするようにりましたが「毎時、世界では一億万本、日本では1日あたり3000万本ものペットボトルと缶が捨てられている」といいますね。

海も川も野山もどちらに行ってもペットボトルはじめプラ容器類の散乱状況を目にしていますがいくら何でもその大量のプラ類の受け入れは「清濁併せ呑む」度量のデカイ「海」といえどもパンクするのでは・・・「プラスチックは分解されるまで400年以上かかる」といいますから・・・そして一番厄介なマイクロプラスチックは生き物たちに甚大な被害をもたらすことは必定。

それらを捕食するヒトに影響が出ないワケがありませんね。

 

その廃プラの中でも極小に粉砕され、水に溶け込むほどに粒子化したものはかなり他の生物たちに悪影響を及ぼしますがその「フリース」(fleece起毛仕上げの繊維素材 ポリエチレンテレフタラート―PET、ポリエステルの一種)というヤツは「海」と生き物たちにとっては最悪の素材ですね。

「温かい、軽い」「ファッションだ」と皆さんが喜んで着こんでそれを洗濯すればその素材は排水に溶け出して環境を痛めてしまいます。

ペットボトルのパッケージとキャップを外して分別、自然界にブン投げているつもりはなくとも知らず知らずにそれをやらかしているのでした。

 

勿論私は「綿100」専門。

また拙寺での四十九日の御納骨の日も「綿100」の巾着袋を用意していただいています。その素材について強調することは忘れませんね。

自然に還していいのは自然からの産物のみ。

まぁ食品メーカーもまたぞろペットボトルほかプラ容器の件、

抜本的な改善が必要ですね。ガラス容器に戻ったとしても不便はそうないような(消費者にとって)。

自然を壊すのであるなら少々の不便は我慢します。

 

昨日の水呑み地蔵もプラ飽和状態の海から大気を循環し湧き水の中からマイクロプラスチックが出てきたとしたら激高するでしょうね。

レイチェル・カーソンの言う通りになりますよ。

 

さて、昨日の水呑み地蔵にはお寺の遠足では寄らずに浄瑠璃寺に向かいますがこの浄瑠璃寺と以前記した西小墓地の間には阿弥陀仏座像の摩崖仏があります。

大門仏谷のあの大きな阿弥陀摩崖仏方向からの道になりますが、こちらの摩崖仏は道路沿いにあるためバスから降りずに紹介できるはず。

交通量の少ない道ですのでその目の前に停車していただいて「見上げて~ごらん・・・」と鼻歌交じりで振ればスグにわかりますね。

こちらが長尾阿弥陀磨崖仏~徳治二年1307~です(場所はこちら)。

 

⑥向い側に標識が立っていますので見逃すことはないかと・・・

しかし崖の中段の如何にも危なっかしいハラハラさせられるような場所にこの阿弥陀さんはおわします。

また笠の部分も重厚にあってつい「大丈夫?」と声を掛けたくなりますね。