ミロクの辻の首なし地蔵の道 三体地蔵摩崖仏

静岡県はあらたに10人の感染者。

昨日は静岡市内のクラスターの発生ということでしたが、ここへきての浜松の大量発生と同様濃厚接触者多数のため追跡にも限界があるでしょうね。

年齢が多くなるにしたがって重篤化する傾向がありますので、若い連中が平チャラの躰でのお祭り騒ぎの件、お控えいただきたいものです。特に例年、あの外来のバカ騒ぎには違和感ありますからね。

こちらの田舎町ではまったく関わりなく過ごしてはいますが、昨日の静岡クラスターの大元の方は都内での葬儀に行って・・・といいますから人の集まる都心などはまだまだ厳しいですね。

 

昨日の横浜スタジアムの試合では「8割まで観客入れたらどうなるの・・・」といった実験が行われていました。

そこで「はっと」気づいたのが結局は今の「緩み」も社会実験という名の人体実験であったということ。

そしてまたぶっちゃけて言えば「自分の身体を犠牲にしてデータを提供する」ということですから。

検証の結果「ダメでした」なんてね。

そこまでお人よしになれませんが・・・。

年寄りはさっさと消えてもらった方がお国のためという考えもあるのかもしれません。

若い人たちの死亡率も殆どゼロに近くケロッと治ってしまうようでもありますし。

そんな中、健常者以外の持病を持った方や年配者に「私が感染させてしまう」という確かな気持ちのある人ばかりが集まっているとは思えません。

 

さて、昨日の「首なし地蔵」について記しましがニュースでは「香山寺遺跡竜門石窟」からインドの高僧の墓と言われる基壇が発掘されたとありました。

新華社の画像でしたが釈迦らしき石仏の首がゴロリと。

人為的なものかどうかは分かりませんが、仏像の首の部分は耐力的にも弱いものがありますので周辺建造物の倒壊や土圧などで折れることもありましょう。

しかし仏像の頭の部分には特に私に訴えかけるものがあるよう感じます。

 

弥勒の辻の首なし地蔵が「門番」として立つその小径を上ります。

車を置くスペースはその向かいの弥勒摩崖仏の先①しかありませんので気が気ではありませんが。畑を耕作する農家の車が停まっていることもあります。

 

その道を100mも行けばこちらにも巨岩の岩肌を穿った石仏のお出迎えがあります。地元では「三体地蔵」と呼ばれています。四角く長方形に堀くぼめた龕に左から「中―大―小」の同形(左手宝珠 右手錫杖)の地蔵菩薩立像が浮き掘りされています。

 

三体地蔵の「三」は一説に「三世」(過去・現在・未来)を表しているといいますがそれぞれの大きさでもって違いを表しているのかもしれません。

ちなみに拙寺の葬儀式の表白(導師の弔辞、挨拶文)では「過去・未来・現在~」と時間の流れではなく「今」を強調して最後に「現在」となります。

こちらの石仏の大きさから考えるとやはりこの三体は「過去・現在・未来」の順序かも知れません。