立政寺 明智光秀登場はこの翌年から信長公記

台風14のコースは私どもにとってとてもハッピーな動きをしてくれるようです。

東海沖で南よりにコースを変えて上陸はなくなった感じ、あとは少々の雨に耐えるだけのお気楽さとなりました。これで本堂正面の観音扉と閂については不要になりそう。

まぁ発生もコースもスピードも変てこな台風でしたが大切な時間を奪ったあ奴(ただの空気の塊)には恨みがありますのでさっさと消えて欲しいところです。

 

なくなって欲しいという思いはそれはどなたでも一緒。

人という者が絶対に逃れられない「無常」のうちの「生老病死」についてはどこかで受け入れるべきものとして棚の上に置いておくとして・・・日々その「鉄の塊」を操る私としては交通事故によって人を傷つけることが一番に「有ってほしくない」と思うところ。

ヒヤリ、ハットの連続、まるで「運だけ」で車を運転しているような私を思うとその点特にヤバいと感じています。

 

先般は池袋の悲しい事故、母と子の命を奪った年配者の暴走事故の公判がありました。

その事故を惹起した老人の過失についてご当人が完全否認したことに各方面から「怪しからん!!」とその無反省な主張について怒りの声が放たれていました。

現在89歳、事故当時87歳の年配者の事を思うとそういった考え(「私は無罪であって悪いのはトヨタプリウスの欠陥」)を主張するのは私としては特に違和感はありませんでした。

 

世にいう「上級国民」であって元官僚に天下りという優待されてきた環境の中、人生の大半を過ごされていたことも多少なりとも関係があるかも知れませんが、やはり人間、齢を重ねると「自己の失敗」についてそれを承認することを否定しがちになる傾向があります。「私は悪くない」・・・です。

個々の性質によっても違いはありますがそこの点は遺族も社会も「しょうがない」と受け入れる他はないような気がしますね。

そして人はその老人の性質についての善悪を問いたいと試み、そうだそうだとばかりにその論を罵倒の方向に持っていっていますが、あの老人の言い分の裏には一つの問題提起があったのかもしれないと考えます。

 

利便性安直と利益至上主義によってゴーカートの如くカンタン操作の車両を作りまくり、尚且つペダル誤操作についての対応について放置していたメーカーの責任もそうですが、年配者に対して殆ど機械的に免許を更新させていた公安委員会のやり方に一石を投じた感があります。

また、それでは年配者から安直に免許証を取り上げていいのかという問題が直面してきますので、簡単にはその解法に導く策は見当たりませんが・・・。

 

あのような悲惨な事故が二度と起こらないためにどうしたらいいのか国をはじめ社会がもっと真面目に向き合わなくてはならないと思うのですがね。

一人の加害者に対して「ごめんなさいを言え」と反省を促すばかりでは大きい意味での解決策にならないし、次の被害者を生むのでは・・・。

政治屋にもマスコミにもメーカーに物を言うようなことがしにくいようでシバリや注進すること憚られるのだとは思いますが「安全」あっての車両というもの。

 

私が以前から思うクラッチ変則の車をもっと以前のように復活させて欲しいというのも一つの方法とは思います。

高齢者にはクラッチ車を・・・。クラッチが踏めなくなったら運転を諦める・・・そうすれば諦めがつきやすいものです。

勿論車は売りにくくなるでしょうがね。

踏み間違い車両は100%オートマ車であることを考えればその解決策を導くには手っ取り早いはずです。

 

アクセルを踏むだけでぶっ飛んでいく車を作りまくり、それを喜んで便利に乗り回している社会があるということをお忘れなく。

そして人は老いれば老いるほど自己否定はしにくくにるもの。

89歳の爺さんを収監して監獄で「殺した」としても残るのは自己満足だけでしょうよ。怒りと悲しみは大いにわかりますが・・・

憂さを晴らしても亡くなった者は帰ってきませんね。

 

さて、昨日の立政寺

正確には山号が亀甲山、院号は護国院といいます。

このお寺が細川藤孝と明智光秀(がいたはず・・・)に連れられて美濃入りした足利義昭を織田信長に合わせた場所。

こちらでの会談がまとまって信長は義昭を神輿に担いで上洛、15代足利将軍として据えたのでした。

 

境内には「正法軒」なる建屋があったそうで、義昭はこちらに二カ月の間、滞留し近江六角に畿内三好三人衆らを駆逐していきます。

その次は・・・いよいよ本願寺が登場してくるはずですが・・・ナレーションだけで終わるのか・・・まぁドラマといっちゃあドラマですが。

 

そして何より明智光秀が歴史の表舞台に登場してくるのがこちら政寺だった・・・というのがだいたいの今言われる歴史の本筋かと。

大河ドラマのこれまでのお話は殆どが想像の域を出ませんからね。

 

そしてまた徳川家康も関ケ原の際立ち寄っているようです。

その件あって⑦「葵紋」に反映されているのでしょうが当時家康を接待した住職との「柿にまつわる」会話があったようです。

柿というと三成が捕縛されてからの処刑前の干柿の件などがありますが、それらとは別話。

まぁウマすぎて後付けということも考えられますが・・・

 

住職が家康に柿を出した際、ポロリと盆から柿が転げ落ちたそう。機転が利いているというか、坊さんの器量に唸らされますがその時住職は「大柿が落ちましたな・・・」。

家康は大いにこのシャレを喜んだとのことです。

勿論その「大柿」とは大垣城のこと。

 

 

義昭と信長の会談は永禄十一年(1568)、その上洛後スグその翌年、信長公記の三好勢との交戦の段に明智十兵衛の名が。

 

護国院水鉢の「吾唯足知」は拙ブログ2度目の登場。

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 10 10月 2020 08:48)

    万が一、億が一でも可能性を探るべきだと思います。
    車のメーカーが出廷してくるべき話。
    踏み間違えありき では裁判ではありません。
    アメリカでも問題になったことがありましたが、日本でも検証の意味で
    捜査?確認されてもいいのではないでしょうか。
    日本ではあまりにも自動車メーカーが優遇されすぎています。
    高齢者向けの、簡単に乗れる車の開発を政府が指示してもいいのではないでしょうか。
    みんなで爺さんをいじめる前に徹底的な審査をするべきです。
    自動車メーカーを全部信じるのではなく、裁判所が確認すべきです。
    それが成されなければ100%爺さんを責められません。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 10 10月 2020 09:23)

    ありがとうございます。
    利便性重視の道具、車に関わる悲劇の数々は、やはり安心安全が不完全だという結果なのでしょうがこれも「所詮人の行いにはミスがつきもの。少々の犠牲、マイナス要因には目をつぶる」といった大局。
    人はその件「私は大丈夫」の錯覚がつきものなのですからやはりメーカーは究極の安全対策を求めるべきで、今回の件もテレビモニターの向こう側から爺さんバッシング以外の切り口からのコメントも欲しかったですね。
    自動車会社からそっぽをむかれてしまうのは、どちらのメディアも食い扶持を逃がすことにつながりそう・・・ゲストの面々もひょっとしてCMに採用してもらえるかも・・・などの下心があったりして。
    私もきっとそういうものに関わりが付加かったらきっと「沈黙」しているでしょうね。
    人間社会の嫌なところ。