決闘 宮本武蔵VS吉岡軍団 京都白川一乗寺下り松

昨日のオモろいニュース(ちょっと眉唾・・・)が「柿渋がコロナに効く」というもの。それも相当濃いヤツだと。

飴やラムネに混ぜるなどして何か商品化を目論んでいるそうですが想像がつきませんね。

 

この柿渋といえばどうしても思いつくのが渋柿の決闘。

決闘と言っても「ちょいちょい」(ジャンケン)で勝負を決めるだけですが、「墓道氏」と秋の柿が実る季節になると始まるお遊びでした。

街区を歩いていて他家の垣根から飛び出している柿をちょいちょいで負けた方がそれをもぎ盗り、ひとかじりするというもの。

これは柿が熟れる前限定ではありますが、だいたい若いころの柿は黄色になっていても渋いというのが定番です。

 

私がちょいちょいで負けた思い出は数度ありました。今の子供たちはその味というか激しい刺激を味わう機会はないでしょうね。

何故かそれで負けるのは「墓道氏」でした。

一口噛んだところで私がニヤニヤしながら「どうよ」と顔を見上げれば「うまいよ」と。

「んなワケないだろ もっと喰え」と言えばブチ切れてその齧った柿を私に投げつけたものでした。

ゲラゲラ笑いながら逃げ回った思い出でしたが、あの渋をどう口から摂取してウィルスをやっつけようとういうのでしょう。

十分にその効果はありそうな気がしますがあの口の中全体に毛が生えたようになる強烈な渋みは誰かを騙して喰わせたい衝動には駆られますが自身味わいたくないですね。

 

尚、塗料としての柿渋はイイ味出すという事はわかります。

 

さて越前一乗谷の伝承、佐々木小次郎がその門下に居たという富田勢源道場について記しましたので京都市内の「一乗寺」という地の宮本武蔵に関わる場所を。

 

京都白川通から万寿院通に入ってスグ、変則的な辻にあたります。

この「一乗寺〇〇」という地はこの辺りにたくさんあって叡山鉄道の駅の名にもありますが、結構に広域。そのうちの花ノ木町を目指します。

尚地名となった一乗寺はかつてあった寺の名を伝えています。そういう古い地名を遺されているというのも京都の良さです。

 

そちらの曼殊院道の辻にある松の木が「一乗寺下り松」です。白川通から入って向かって右側になります(場所はこちら)。

尚、私は何度もこの白川通からの比叡山超え大津入りをしていますが、この辺りの神社仏閣は京都市内の人気スポットとは外れてマイナーの部類。とはいえその分「独占」に近い感じで楽しむことができます。

 

またそのまま白川通を進めば大原方面に分岐する道がありますがそちらから朽木、高島琵琶湖、小浜など日本海側へ通じることができます。歴史の中でも室町将軍家ほかこの近江、越前方面へ辿る道が使用されています。

 

その「一条寺下り松」は宮本武蔵が吉岡一門とハチャメチャの決闘を行ったという伝承のある場所でこの松が四代目といいます。

その決闘の件は各お調べいただくとして私が武蔵に好感を抱くところは決闘の相手が子供(吉岡源次郎12歳)であろうが実体としてその組織の大将であることから必殺の一刀を背後から振り下ろして討ち取ったという彼の作戦。

 

それを「卑怯道」といって揶揄する人もいるかと思いますが、それこそが剣豪と唸らせるところなのです。

正々堂々?それはちゃんちゃらオカシイ。

臨機に動けば選択肢はそれしかありません。

武蔵に一票。

まぁその状況だったら私なら尻尾を巻いてどちらかに逃げますが。

 

また事前に武蔵が行った近くの八大神社での参拝の件。

『我、神仏を尊んで 神仏に恃(たの)まず』はカッコいい。

私どもの宗旨で言えば「他力の本願」。

仏におまかせしているので念押しのお願いはいらないといったところ。要はありのままのスタンスです。

私どもが「たのむ」のイメージは称名(南無阿弥陀仏)のみで仏の願いを承るのみですから武蔵の気持ちに近いかも知れません。

武蔵のその「恃まず」は多勢に無勢の状況に「加勢を恃む」といった加護的意味あいになるかと。