昨日記した心筋梗塞で緊急手術をされたという方と再びお会いしました。
朝方病院にて再検査を行って「まったく順調」の診断を得たとのこと。
発見から処置まですべて申し分ないことでした。
基本はムリせず(我慢せず)少しでもいつもと違うを感じたら予定を割いても病院に直行すべきということですね。
「心臓」といえばあまりにも重大すぎて手に負えない病気と思いがち。そこを「しょうがないことだ」と投げやりにならず、早いうちにその病原を発見することができれば案外と平らかな日常を維持できるものです。
いろいろな体調劣化をもたらす心臓原発のそれには早期発見が肝心。「息が切れる」などの変化は勿論、昨日記したような心臓とは全く関係ない部位の痛み等、異変を少しでも感じたら「現状繁忙」を「ふりすてて」医者の元に走ること。
「改悔文」冒頭・・・「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみもうして候ふ」
ついつい感じてしまうことは、運だとかツキだとかとは別に、特に病気に「予兆」があったということは「もしや南無・・・おかげさま」などと。
これは宗旨がら何から何までそれに結びつけようとする傾向があるのは当然かもしれませんが「阿弥陀仏のはからい」にて最大チャンスを頂いたものだと勝手に推測-個人的には確信。
やはり合掌しつつ報恩感謝。ただの「偶然だ」となどと思ったら「おしめ~よぉ」。
何から何まで「御恩、御恩・・・ありがたい、ありがたい」。
さて、昨日ブログの一乗谷南の上城戸の堀の外側に神明神社(場所はこちら)なる小さな社がありますが、そちらがここ一乗谷を出自とする剣豪の富田勢源(とだせいげん)の道場の跡となります。
近くの一乗川にかかる橋にも彼の名が見えますが、彼の門下で一番名だたる人に佐々木小次郎がいます。
「中条流」「平法中條流」といって「兵法ではなく平法」というこだわりがあります。
『中条流平法口決』
「平法とは平の字 たひらか又はひとしと読んで夢想剣に通ずる也。
此の心何といふなれば平らかに一生事なきを以って第一とする也。
戦を好むは道にあらず。やむことを得ず時の太刀の手たるべき也。
この教えを知らずして此の手にほこらば命を捨る本たるべし」
平らかに生きる・・・
「平らかに一生事なきを以って第一とする」いのちは大事。
戦うばかり、前に出るばかりが人生にあらず・・・です。
ただしこの地での「富田」のイメージは富田長繁の方が強いですが・・・。
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小山昭治 (火曜日, 15 9月 2020 08:42)
そうか、小次郎は武蔵の遅刻に平らかな心をなくして
敗れたということですか。なるほど 納得。
平法が負けたということではない。
武蔵の策略、己の平常心に負けたということですね。
今井一光 (火曜日, 15 9月 2020 11:58)
ありがとうございます。
平法の「戦わず」はベストな考え方です。「争わない」の肝心を念頭におくべきことと解釈いたします。
巌流島の件は吉川英治のストーリー性が高いもので本当のところはよくわかりませんね。
武蔵の一枚上手はよくわかりますが、吉川英治も平法の存在を重々承知しての小次郎のイライラだったのでしょう。