大河は玉三郎が正親天皇の話題 顕如さんは?

感染者拡大の真只中、重傷者数の増加傾向(東京は4人増えて36人)にお国のおエライさんたちはいまだ平チャラのご様子。

「想定内」というところでしょうかね。

60代以上が重篤になる確率が高いようで、年寄りはどんどん「死んでくれ政策」がウラで動いているよう感じてしまいます。

何も対策しようという動きを見せませんからね。

軽症者は熱中室内で自宅待機となれば「生きていく」ことに辛さを感じるでしょうよ。

希望も安心もへったくりも無いのと同じ。

 

政治屋さんの中、ソーリ殿の子飼いの人だったようですが「このほど3回目の逮捕」という御仁がいらっしゃいました。

まさに常人には真似ができないような快挙ですね。

お目出度く存じます・・・

ご当人は「知らぬ存ぜぬ」を通しているようですが、庶民の目からすれば「(政治は)終わってる・・・」。

 

そういえば微妙に真夏は終わった感ある朝の体感と雰囲気でした。

気温も直射日光もそうですが毎度スゴイ勢いで鳴きまくるセミたちのトーンも確実に下がっています。セミの絶対数が少なくなっているからですが。

 

セミといえば彼らの棲息域について感じること。

今頃と言えば境内はクマゼミ(シャーシャーゼミ)とアブラゼミ主体でツクツクボウシが少々といった感じですが、山に向かって森が深くなるにしたがってミンミンゼミにヒグラシの声が耳に入ってきます。

 

横浜に居た時は市街地ですとクマゼミではなくてミンミンゼミが主体ですから(アブラゼミはどちらでも・・・)地域によって主役は違うもの。箱根でも芦ノ湖周辺でしたらヒグラシが主役ですからね。

 

セミといえば小学校低学年のころの夏の日の日課でしたね。

竿と網を日々効率進化させてゲットしまくったもので、クワガタやカブトムシへシフトしたのは高学年になってから。

 

私はそのセミたちに「死」というものを教わりました。

生き物の「死」を目前で体験した最初ですね。

一晩カゴの中に置けば翌朝はまずセミは死んでいます。

放置すれば異臭を発し腐敗していきます。

腐敗臭の酷いものの最たるものといえばザリガニでしたが・・・。

 

ある時母がいいました。

お盆だから逃がしなさい(「明日死ぬのだから放せ・・・」)と。

「折角とったのに」と「かわいそうだ」の葛藤です。

門徒は年がら年中、毎日が「お盆」のようなものですからね。

網と虫かごを持つ子供が見えません。

どちらで「死」と「慈悲」の心を育んでいくのでしょうかね。

バーチャルで学び、現実で自ら試す・・・そう考えるとちょっと恐ろしい。

 

昨日は吉祥寺の叔父から「顕如さんの尊像」を奥様の妹さんが喜んでいたと知らせてくれました。吉祥寺に何セットか送っていましたのでその一つがそちらに行ったのでしょう。

「顕如さんの尊像」とは拙寺初代今井権七(釋浄了)が石山本願寺での戦働き、そして退去後も顕如さんに従って、本能寺の翌年に遠州に帰郷する際、顕如さんに頂いた阿弥陀如来像の御軸です。

主たるものは波さんの打ち敷の高明細のものでしたがこの夏盂蘭盆会に絵ハガキにして檀家さんに配りました。

 

そして、歌舞伎好きの叔父に大河ドラマの配役に「正親天皇役に玉三郎」が決まったという話題になり、私が「顕如さんは・・・」と振るとあの時代のあれこれを描いて本願寺顕如が出ないということはまず無いし、無かったとしたら演出と構成を疑う・・・と。

当然でしょうね、どちらの反信長勢力も殆ど瞬間的に一蹴されている中、11年も信長と戦い、かつ今も脈々とその系統と思想は生きているのですからね。

 

画像は⑤以外ブログ既出です。

①絵ハガキにした尊像。②はその裏書。江州蒲生郡安土広済寺門徒と当初の出自が記されています。

③はオーソドックスな顕如さん像、④は石川県立博物館の鎧姿の顕如さん。

⑤は岐阜市内を走った際にみかけたバス停の名「せみ」。詳細不明。