おエライさんの楽観と認識不足が庶民の苦痛に

東京都知事お墨付きのあの虹色ステッカーを貼った店から集団感染が出ていました。見苦しいことで。

そもそもあのステッカーは勝手にダウンロードして勝手に貼るだけ、安全安心についてはまったくの無根拠のアピールですからいずれそうなることはうすうす感じていました。

それにしても感染しちゃったお客はマジでそれを信じて店に入ったのでしょうか・・・とにかく「安心です」のシステムを形だけ提供して感染者を増やしてしまったことイケないでしょう。

責任は店と客にあるようなことを仰っていましたが・・・いい加減な付け焼刃は傍観しているだけでもイラつきます。

 

さて、イラつくから録っていても観る気がしないというのは「奥の墓道」氏の談。この時節に放映される戦争ドキュメント番組のことです。

一昨日放送された「歴史秘話~“幻の戦闘記録”で解き明かすガダルカナル大敗北の真相」についてですが、昨年の今頃に放映された「ガ島悲劇の指揮官」も録画はしたがまだ見ていないと。

 

戦争の「勝ち負け」というものを超えたその戦いの「非業の死」について日本軍指揮系統~番組では「大本営のエリート」と呼んでいました~のあまりにも酷い感覚に歯がゆさを感じてついイラついてしまうのは良くわかります。

 

ちなみに先日は「定業」について記しましたがガタルカナル島に上陸した31400人の兵士のうち6000人の戦闘死と戦闘以外の「飢餓と病」での死者15000人がその「非業」にあたるのでは・・・

 

「ガ島」とは「飢餓の島」とよく父が言っていましたが、私のイメージでは米軍との戦力差によって一方的にボロボロにされて一気に戦況が日本の劣勢に傾く戦場だったというものですが米軍側新資料では実は米軍も一時は相当敗色濃厚のタイミングがあったというもの。

そのあと少し・・・の差が双方火力の差だったといいます。当初は陸軍の米軍海兵隊戦力状況を実際の1/5程度に見誤ったうえ1/10の戦力で壊滅されたことから始まったのですが、投入が後手後手になったところで海軍が輸送船の導入ではなく駆逐艦の配船どまりとするなど物資搬入をケチったことなど番組内大本営での陸海軍おエライさんたちの紛糾の再現を見て、根拠の無い楽観と情報力、認識の甘さはどこか今の官邸の新コロ対応の施策に似ているような・・・。

 

結局はもたもたしているうちに日本軍が造り始めた飛行場を逆に米軍に占領、完成させられ、制空権をも奪われてからボロボロにされたということですね。

飢餓と病気で亡くなった若者たち15000人の無駄死は痛切な思いを抱きますが、捕虜になった彼らの身体検査の様子は酷いもの。ガリガリに痩せ細っていました。

 

なによりも腹が立ったのは地元の方が島を案内してくれるシーンで日本軍の遺骨がまだまだ散らばっているところがあること。日本人の墓地に毎日花を手向けるなど管理をしてくれている方は現地の方でした。

 

厚労省の怠慢に怒りを禁じえませんね。

いつぞやは各戦跡で催されている?「遺骨収集」のイベントで、地元民の墓地の骨を拾い集めての「やった感」が報じられ問題になっていましたが、この番組で紹介された遺骨についてこちらは「どうなっているの?」です。

 

奥方が素朴な質問を私に。 「誰の遺骨かわかるの?」です。

それこそ医学先端技術を誇るわが国の技術でもってDNAを調べあげ家族の元に帰してあげられるはずです。

無症状者へのPCR検査をケチる政府にそれをやれというのは酷なことなのでしょうか。

 

徴兵して派兵し、あとのことは知らないという政府、原爆を落とされて後遺症に苦しむ被害者をその時居た位置と距離だけで差別しようとする政府・・・、戦争の責任は対外国だけのものではありません。

自国民への贖罪は残ります。

昨晩は「あちこちのすずさん」のたくさんのエピソードを見てまた・・・色々思いました。

むごいことですよお国のやることは・・・。

個人ではどうにもならないのにツケは個人が払うなんて。

 

昨日は午前中は藤枝のお宅で初盆の法要。本堂本法要の前に仏前でのご挨拶に伺いました。

「大井川と天竜川は渡らない」とは言ってもこれは別ですね。

 

たくさんの方のお墓参りもあって午後からは花ガラの処理に地頭方へ軽トラで。やはりお盆休みということで比較的処理場への持ち込みはあったようです。忙しそうでした。

 

そして少しだけ地頭方の海岸に寄ってみました。

こちらは以前子供たちを遊ばせる絶妙な海岸があった場所ですが今は無粋な障壁工事であのザマ①です。

②は地頭方港と御前崎方面。

あの青い海の彼方、75年前の先達の苦悶が聞こえてくるよう。

③自宅に帰ってから仏間で合掌そしてそのまま昼寝。

一番に安らぐ時間です。

④は東京都医師会長が掲げる言葉をキャプチャー。

まったくその通り。

「専門家の意見」なんてあってないようなもの。おしるし。

スルーしているのですよ、あの人たちは・・・。

無策と後手後手対応付け焼刃は庶民をどん底に落とす・・・それも歴史。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (金曜日, 14 8月 2020 06:05)

    「ガ島」を視聴して新事実?に驚きました。最近「証言 沖縄スパイ戦史」で沖縄北部の犠牲も知り、いつの時代でも「為政者と市民の乖離が大きすぎること」を再認識させられた。
    静岡県護国神社にて「みたま祭り」も開始されていますが、展示館が刷新された一方、敷地内の「柳田芙美緒写真展」は建物の旧兵舎老朽化のため開催は今年で最後の模様です。
    8/13は市長夫妻も来訪され、夕方は複数のテレビ局で特集していましたが、貴重な記録は市民の目線から消え去る一方か?

  • #2

    今井一光 (金曜日, 14 8月 2020 08:33)

    ありがとうございます。
    「すずさん」にもその語の登場はありましたが「間諜」という語で市民を拘束、殺害にまで至ったという沖縄戦の歴史は軍と市民という関係以上に差別意識があったことがその原因としてあげられます。当時の沖縄は今のように内地の標準語に触れる機会が少なく沖縄の人たちの間で話される沖縄弁は軍関係者が統率するにチンプンカンプンの意思非疎通をもたらしました。何を云っているかわからないからスパイ(間諜)で、諜報活動により危険を排除しようと処刑という現場判断があったと聞いていました。

    人の性質にもよりますが、その「間諜」という語でもってその人を断ずることの人格無視はありませんね。
    アベソーリのご挨拶「天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」の棒読み台本はちょっとした物議をかもしましたが「願っていません」
    のところは実は「已(や)みません」だったというのは人口に膾炙。
    字が読めずに口ごもって自分の思う「読み」をそのまま読み上げてしまったのでしょうが、その手の間違いであったとしても当時だったら処刑モノ。
    今は為政者といっても「そんなもの」なのですからね。
    国語の漢字検定ではありませんが、読めないことは別にかまわないのです。
    しかし文脈というものがあってそれを言ったらオカシイことはまともな御仁ならわかるハズですしそもそも棒読みでも事前に予習して間違わないようにするのも人としてのスジだとは思います。
    あの人はあたかも「お祭り」ならぬ「戦争大好き」さんのよう。
    多くの戦没者と遺族の苦しみと悲しみを背負っていないようようですがもはや「怨」の字も頭をよぎりますね。
    戦没者を思う「深い反省」の時間、つい余計な事を記しました。