比木の県道をのんびり池新田まで 味わえるのは今だけ

昨日は朝からタップリ時間があったため境内墓地周囲のボサボサの一部の枝払いを奥方と行いました。

墓の後ろを「何とかしてくれ」と遂にクレームに近いご指摘があったからですが、まともにヤル気にはなれないというのが実情。ちよこちょこっとやっつけておしまい。

やるべきことが他にたくさんありすぎるからですが最近は木々の繁茂に関しては対応の順位は低く「放っとく」的になっています。

 

あともう一つ、天気が良すぎるのもイケません。

これは子供のころからの性(さが)でして☼が出れば落ち着いて仕事をする気になどなれないというもの。

 

世は「熱中症なんたら」と各地40℃超えの様相。

浜岡の叔母の家は一体どうなっているんだ・・・ということで池新田まで行こうということになりました。

そこで11時30分に私が徒歩でスタート。奥方がその2時間後に車で向かい叔母の家で落ち合うという算段です。

須々木から比木のコースは最短ですからそちらの道を使います。

車の往来が結構あって折角の自然を十分に満喫できるわけではありませんが、「ぷるる」なる浜岡のプール近くに差し掛かるあたりのヒグラシの声には小田原育ちの私には箱根の深い緑を思い起こさせ心地よさをよりアップさせてくれました。

 

紫外線下にいて勿論マスクなど着けませんしそもそもすれ違う人などまったくありません。

沿道の家では家庭用簡易プールで遊ぶ子供たちの弾ける声が各所で聞こえていました。あのプールはことのほか売れているといいますね。

大人たちの目は余所者の私へのチェックを怠らないの様、その件よく受取れましたがまぁ当然かも知れません。

人様の趣向とは異にする私ですがこの夏の特別な時間は私の良き反省タイムとなっています。

おかげ様で叔母の家はエアコンギンギンでひと安心。

昼ごはんも食べたというので撤収しました。

 

さて昨晩は「戦時ドイツと現代日本~内なる差別~」(ハートネットTV)を視聴しました。

アウシュビッツの大量殺戮の前哨というか戦中ドイツに於ける優勢思想-「T4作戦」についての番組でした。

 

一言「差別」と言いながらそれはイケナイ事であると教わって成長してきた私たちですが、「私」と他者に違いを見つけて優越部分を見つけて悦に浸る傾向は人間そのものにあるのでしょうね。歴史が証明しています。

特に「生産性」というものに人の価値意識を問おうとすればそれが他者の目に一定以上の評価を与えない場合「無価値」と断ぜられて差別処断されるというのがその流れ。

 

日本でも先般の障がい者施設の事件などがありましたがそれを単純に一加害者の特殊例であると考えると本質を見誤ります。

仏教的「慈しみ」の心こそ幼少時教育に不可欠であると感じましたが何よりその手の差別的なことに対して私たちは「見て見ぬふり」をしないことを心掛けることが大切ですね。

坊さんなんて見方を変えれば「生産性」など無いと断じられそうですし。

 

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コメント: 2
  • #1

    くりくり (水曜日, 12 8月 2020 00:51)

    暑い中、大変でしたね。あのあたりは若干海洋性気候なので温度上昇もそれほど出ないかもですね。
    差別は、人間の弱い部分で有史以前からしてきたんでしょうね。しかし、差別がない方が幸福追求への近道とすこしづつわかってきたことなんだと思います。ただし、我々は、
    まだ途上といえますね。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 12 8月 2020 08:16)

    ありがとうございます。
    そうなんです!このあたりは風も吹いて世で騒ぐほどの暑さにはならないのです。
    そして家の中でぐだぐだとしていることに比べ外は案外と快適なのです。
    まぁ日焼けはしましたが・・・「いい歳してして黒い」と笑われるのはちょっとばかり
    照れますが自分の足で歩けるということに仕合せを思います。
    きっといずれは加齢とともに動けなくなってしまうというのが「人の途」なのでしょうから。

    仏の「平等施一切」と当流標語「みんな違ってそれでいい」の通りに私が生かされていることを認知しない姿勢は「次は」他から排除の対象となるかもしれませんね。
    気軽に人は「あの人苦手」の好き嫌いを言います。
    受け入れることといえば大層に聞こえますが相手の話に耳を傾ける、態様を理解することが大切なのでしょうね。自分をその立場に置き換えて。
    まだまだ「途上」です。