般若寺水かけ地蔵と石船 溜飲下がる児玉氏の論

台車は境内重量物のちょっとした移動に重宝しますが、植木鉢を載せたままにしたり雨に曝されることも多く、錆だらけ。あっという間にボロボロになります。

そうなった台車は前回は処分とあいなりましたが、これほどの頻度で更新するのはいかにも具合が悪いと思い、今回はキャスターと手摺を取り外し木製の台を製作してそれぞれ装着してリサイクルしました。画像⑥。

午前9時代でイキナリ室内の温度計は31℃超えとなっていましたので外に出ての雑仕事は楽しいの一言。この猛暑のおかげで蚊の襲来は一気に少なくなりましたからね。

 

大きめの植木鉢が二つ載せられるよう台を長めに作りましたが問題なし。手摺もそのままボルトオンで折りたたむことができます。

木製でも鉄製同様腐食は免れませんので少し経ったら焼きを入れて(表面を炭化させ)塗装を施そうと思っています。

おそらく鉄製の安物のそれよりも耐性はあるのでは・・・硬質プラスチック製などプラ系のものが出回っていますがそれらが劣化したらもっと環境に悪そうな気がして・・・。

 

その「環境」ですがそれを守るためには・・・「自分が地球上から消えること」が一番の対応法だということはわかります。

最期に大量の二酸化炭素を出しておしまい・・・ですね。

人間そのものの活動が環境の保全維持にマイナスとなっていることからそう考えるわけですが、これは人が生かされている限り地球に負担をかけないよう心掛けなくてはならないということで、未来の子孫のために今地球を任されている私たちが何かしらの努力を始めなくてはならないのです。

 

例によっての取り敢えずの「やった感」がレジ袋非無料化でした。システムに付いていけない客がレジで暴れている図を各所で拝見していますが、果たしてその小手先的処方で死に際にある環境を救う手立てになるのかまったく疑問ですね。

プラ、PET製というものが「悪」であって「袋」が悪いワケではないので昔は当たり前だった紙袋に代えればイイのでは、とは思いますが、石油系素材製品のコストがいかに安くて便利でその利便は捨てられないということなのでしょう。

 

ただし現実の切迫はマイクロプラスチックによる環境と生物への汚染ですね。

最近は海洋だけでなく空気中のマイクロプラスチックについてその浮遊物を吸い込んでいる私たちの肺に影響を既に及ぼしているという件は捨てておけないことと聞くようになりました。

「まさか」そういうことがあったのか・・・と驚くばかりですが少なからず今、ヒトの生命を蝕んでいたことがわかります。

ここでもやはり「沈黙の春」を思い出すわけで、ただ今の日本の人口減少の様を裏付けるが如くです。

生体に微細プラの混入はダメでしょう。

 

原爆被災75年の節目となった今、原爆廃絶の声がちらほらと聞こえていますが(コロナ対策でも毅然とした態度と指導力でその素晴らしさを見せつけたニュージーランドのアーダーン首相の言葉~「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者に報いる唯一のこと」~はリーダーの人間そのもの、本質の違いというものまで感じてしまいました・・・)それ同様にPET廃絶も本気で考えないと人間の命そのものが廃絶されかねません。そういうところからも政治というものが目先のことだけで未来を見据えたものでないことがわかります。

 

昨日の東京は462人で300人以上が感染経路不明といいます。

昨晩はBSで先端研の児玉龍彦先生の出演番組を視聴しました。

例の「世田谷モデル」の区長(PCR検査 いつでもどこでも何度でも)を技術バックアップしている方ですが言葉にキレがあって政治忖度の微塵もない人。

毎日のように「現場」に赴きネクタイとシャツの上に防護服を着てPCR検査をしている姿に専門家多々いる中「これぞ信ずべき人」と敬意を覚えました。

 

その方が「東京都と国は相変わらず何も動いていない」「100年前のスペイン風邪の対応と変わっていない」と指摘されていました。

こういうキレっキレの学者さん(厚労省が集めた学者はまず除外)に対して政治屋の輩は一言も反論できないでしょうね。

また「悪循環サイクル」の件(低発生の時期-チャンス-に検査拡充の態勢をとらず大切な時間をすごし再びの大量発生を招く)とウィルスの24塩基変化によって「型」が変わり(ちんぷんかんぷんですが・・・今は「新宿型」が全国に派生し「型」を発展させている・・・<遺伝子の変異が半月に1回ほど発生するから24>)延々にこのウィルスとお付き合いしていかなくてはならなくなるかも・・・とこれからの辛い未来を予測しているようでもありました。

 

「デキナイ理由を100挙げるより動いて1つの事をヤル」・・・それがリーダーシップと。

ちなみにアベマスクを配る資源を検査に向けた方が余程効果があったとやはり仰っていました。

きっとソーリ殿には利権とお友達のなんたら・・・があったのでしょうが、そこのところは「Go To」と共通しているかと。

 

先生は「(検査を増やさない理由に)「若い人が多いから大丈夫、重傷者が少ないから大丈夫・・・ではダメ」とピシャリと断じていました。

今私たちは児玉先生と世田谷区の「成功」を見守りましょう。

「政治判断」とやらの一部の軽薄恣意に未来まで奪われたくありません。 

 

本日もいつもの続きで石造「水船」です。

画像①~④は奈良般若寺本堂前のもの。⑤は南山城岩船寺。

それでは清水俊明氏の記述を。

 

 

石造美術の分類    「奈良県史7 石造美術」

清水俊明  奈良県史編集委員会

15 水船

水船は水を入れるための水槽であるので、一石で水をためるための水穴を造る。

その形式は長方形であることが多く船形に造ったものもある。特殊な例では大和郡山し洞泉寺水船形式のように一方に石仏を載せたと思われる台を設けたものもある。

年代の確かな古い作例として、春日山高山水船があり、船状に造って両端に取っ手状の突き出しがあり、「東金堂施入高山水船也 正和四年乙卯五月日置之 石工等三座」とあり、鎌倉時代

和四年(1315)の造立で「水船」と称していたことがわかる。

桜井市大神(おおみわ)神社の水船は長方形の大型水船で「大神社水船也」とあり、室町初期応永二十一年(1414)の造立である。寺院だけでなく神社の手水鉢として使用されることが多い。