地獄に堕ちるのは・・・いつも庶民 角塔婆、板碑

最近の感染の現場は一時騒がれた「夜の街」ではなくて「家庭内感染」が大流行りの様。感染経路不明者を輩出し放置しまくった結果でしょう。

家庭内感染と自宅療養はヤバいですよ。

管理監督されているはずの施設でさえ掟破りの外出の件、散見されていますからね。

「ちょっとコンビニへ・・・」などあるあるでしょうよ。

 

東京等、酒提供の飲食店の営業時間短縮を要請すること、この毎日感染者多数の現状を何とかしようという手法のようですが、その手のことで感染者を抑えられるのかまったく疑問。

要請を受けた飲食店のボヤキの声が多く聞こえるようになりましたがこの現状は飲食店だけに限らないのでは・・・。

辛い時代が来ましたが、「どこでもいつでも何回でも」のお気軽検査ができないお国の態勢を恨むしかないですね。

 

「専門家会議」なる医療科学者を中心に委員招へい、官邸が責任を押し付けるはずだったろう「専門家」を一旦クビにし改めて組織、官邸意向をもろに忖度する「分科会」なる茶番クラブができたわけですが、いよいよ漂流、まともな方向性が見えて来ません。

 

「新コロはただの風邪」「Go To~はイケイケドンドン」「PCR検査は必要とは思わない」の声が未だまかり通るような「会」のように感じますが、その会に参加している医療科学の研究者に科学者の皆さんたちに思うことは少々下世話ですが「いくら貰った?」ですね。

どうやら医学・サイエンティストの本来あるべき姿と違うように感じます。「科学者は政治の忖度をせず自分の本分を知れ」との声がテレビから聞こえきました。

 

将来の地位のためなのかカネのためなのか、あたかも自分の魂を悪魔に売る姿のよう。

そこで遥か昔、「奥の墓道」氏と池袋で見たヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」を思い出しました。

恥ずかしながら本編は二人とも居眠りしながらでろくすっぼ覚えていませんが・・・。

というわけで思いついたのはただその「地獄に堕ちる」という字面だけ。

 

昨日は地代の山の墓地に法要の墓参りに上がりましたが今年初めてツクツクボウシの声を聞きました。

梅雨明けしてほんの数日で「秋」の使い・・・まぁ今のうちはそれでも猛暑と湿度が感染を抑えてくれるのでしょうが、「秋の爽やかな空気」とともに感染は広がるというのが常識。

この夏に抑えきれないということは致命的というような気もします。

湿度が下がることによってウィルスは活性するというのが定説ですからね。

この冬はさらなる地獄が待ち受けているのかも知れません。

 

ベトナムでは感染力がパワーアップした「新コロ」出現との報がありました。

コロコロ変異するというのも新コロならでは、なのでしょうか。いつまで続くか、「日本だけ軽め・・・」の偶然。

根拠ない自信でもって何かと経済、経済とそちらの方にウェイトを置く=庶民の命を犠牲にしても・・・のは破滅への途か。やはり戦争と同じ。

 

どちらにしろそのスタンスこそ実は彼らが大事にし、見返りを期待している「経済」を疲弊させているのですが、それを理解できない「目先」の利を追う姑息に失笑するばかりです。

彼らからすれば庶民どもを守っても自らの懐は温かくならない・・・ただそれだけでしょう。 

 

責任はそう・・・、何かと政治屋どもの口から聞こえる「専門家」たる「会」のお歴々様たちが取ることになるのでしょう。

いいように使われてトカゲの尻尾の如く「切られる」のかもね。

しかし辛いのはいつも庶民・・・「エピタフ」に何と記すか・・・。

 

昨日の続きです。

画像①~④が奈良般若寺⑤⑥が小田原居神神社。

居神神社のそこは今蚊の餌食になるでしょうね。

 

 

石造美術の分類    「奈良県史7 石造美術」

清水俊明  奈良県史編集委員会

8 自然石塔婆

自然石状の塔身を持つもので、その四方に仏・菩薩・年紀・銘文などを刻む場合もあり、一面のみを使用することもある。

板碑に近い形式であるが自然石塔婆として区別されている。

 

 

9 角塔婆

塔身が方柱状に造られ、その頭部を四方とも傾斜を作って山形に作り、その下に二段の切り込みを持つもので、一見板碑を角状に造ったものと考えてよいものである。

県下では宇陀室生寺の「大界外相石」があり、ほぼ角柱の塔身部を造り、正面に「バン」大日如来の種子と「大界外相」の文字を刻み、頂部四方山形に作って、その下に二段の切り込みがある。

鎌倉後期の角塔婆の一例である。

 

10 板碑

板碑は平安時代に使われた木造の卒塔婆がのちの鎌倉時代になって石造化して造られたと思われるが、諸説あって定説がない。主に関東の武蔵地方で板状緑泥片岩(秩父青石)を使用し造立されたもので、頂上を山形に作り、その下に二段の切り込みをし、その下に額を設けその下の長い身部に仏・菩薩などの像や種子・年号・法名・願文・偈文を刻んでその下の根部を地面に埋めて立てたものを、一般に板碑を称したのである。

大和地方ではこうした板状石材の産出がないので、もっぱら花崗岩を使い、厚い板碑や自然石を使ったもの、船形状に造ったものも板碑の範囲に入れて分類する。

県下最古の板碑は天理市布留町大念寺文永五年(1268)の半自然石板碑で、花崗岩を不整形に板状に造り、蓮華座を設けた上に月輪内弥陀の種子をあらわしており、阿弥陀信仰の内容を示すものである。

室町時代には庶民造立の板碑が急増し「南無阿弥陀仏」の名号をあらわした周囲に法名や「念仏講衆人数各敬白」と刻んだものや自己の逆修供養のため造立した板碑が多くなる。

十三仏や仏・菩薩像ををあらわす板碑の造立も、室町時代以降に盛行し、その遺品は大和では膨大なものとなる。