フロイスの信長 周山慈眼寺光秀像

一時は陽ざしまであって危うく騙されるところでしたが、殆ど一日中雨に祟られた東海地方でした。

前線通過は山際(国道一号線、東海道線)ということはいつものことでこちら相良は他所に比べて軽い感ありますが、外仕事などあり得ない状況でした。

その国一沿いというかここ相良から離れた地、特に東名に新東名に新幹線などまたぞろ止まったり再開したりのその利用者にとっては散々な一日になったでしょう。

雷(神 鳴り)も一日中聞こえていました。

 

雨降り続きもあって「理性ある方」は「Go To」なんて無視するだろうと高をくくっていれば、この連休中の主要観光地の県外観光客の伸びは「GWの18倍」とのこと。

要はお国のお墨付きを信じての行動根拠があったということですね。

私は新コロと降雨が重なって外に出る理由は100%ありませんでしたので籠城。

新コロの変異が4000パターンあると聞きます。未知なる恐怖が人と接することをますます拒ませることになります。

 

最近の傾向はこれまでの東京ほか首都圏悪役説がありましたが、先日聞いた児玉龍彦教授の「エピセンター」の如く地方に着々と浸透していることを思います。

当静岡もそうですがどちらも感染者が強烈に増えていますからね。

本当に先生が国会で証言した通りに2週間後は「目を覆う」ことになることが現実になるように思えてなりません。

国会議員という無責任な職種の輩はこの連休中もいつもの「注意深く見守る」などと呑気な風で高いびきを決め込んでいるのでしょうね。「何か対策しろよ」と荒げるばかりですがまさに何とかの耳に念仏、3月ころから言われていることなのに。

 

さて、フロイスの信長像について褒めちぎるところ多々ある中勿論批判的な記述もあります。

それは主に2つの角度の違う方向からのものでしたがやはり共通点としては「宣教師(伴天連)の使命」に反する信長の姿勢でした。

 

「彼はそれらすべてが造物主(デウス)の力強き御手から授けられた偉大な恩恵と賜物であると認めて謙虚になるどころか、いよいよ傲慢となり自力を過信し、その乱行と尊大さがゆえに破滅するという極限に達したのである。」

 

それは巷間言われる信長が世界の中心に立ち、神以上の頂点にあって「信ずるものは神に非ず、絶対なる自分である」の如き言葉や振る舞いからそれを感じ取ったのでしょう。

 

おそらくキリスト教布教に関して伴天連を保護し大いに許容していたにも関わらず、彼らの最大なる目的(デウスの鞭として日本国を制圧し日本の国教の如くカトリック教会を広げ、その心の支配によって中国に進出する)のためには欠かすことができない条件=新国王となった信長に洗礼を受けさせキリシタンにすること(デウスの支配下に置くこと)がどうしても叶わず信長にそれを拒まれたことへの焦燥と怒りのようなものが窺えてきます。

 

よって当面の宣教師の目的は「信長に洗礼を受けさせる」ことだったのですね。

そして洗礼を受けるどころか信長は・・・

 

「かくて彼は日本の絶対君主と称し、諸国でそのように処遇されることだけに満足せず、全身に燃え上がったこの悪魔的傲慢さから、突如としてナブコドノコゾールの無謀さと不遜に出ることを決め、自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、あたかも神的生命を有し不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した。」 

 

 

ナブコドノコゾールとはB.C.12頃のバビロニアの国王。

「自分はもはや、ただの王でなくて神である」と言い放って神の怒りを買い雷を落とされて錯乱したというお話です。

この件、「信仰世界」に強く傾注した神的な一面がとらえられるストーリーでフロイスにとってはその王の存在が信長と重なったということでしょう。

 

そこで思いついたのは、人間という者はエラくなってすべての物(地位・名誉・財力)が得られ最大満足の境地に達すると他者からより一層褒めたたえられ崇められることを望みつまるところ「神」になろうとするのだということ。

 

信長の後を継承した秀吉が豊国大明神、家康が東照大権現と「神」になりたかった・・・その希望の通りです。

そういう意味からして我れら真宗門徒が仰ぐ阿弥陀如来一仏の思想に仏教的基本思想、地位も名誉もカネもない庶民それぞれが死後「仏」として(あるいは今仏心をもって仏として)出現するという思想は相いれないところがあってそもそも為政者にとっては都合のいいものではなかったのでしょうね。

特に真宗など経典最後に拝読する回向「~平等施一切」にあるよう基本は「みんないっしょ」の考えですから。

 

まぁ信長の自身神格化の発想は宣教師たちの影響があったからの発想かも知れませんが・・・。

「生き神」を強調したら即、雷(罰-バチ)が落ちるものも教訓的ではあるものの歴史の必定。尚、それは雷とは限りませんが。

 

画像は昨日記した周山慈眼寺。数年前の画像です。

現在は更新されている件各あり、まだ大河ドラマ放映が決定する前のものです。

最後から二つ目の画像の四角い石は周山城から発見されたもの(石塔ベース部分か)のようですが現在は新しい覆堂に収められているようです。

釈迦堂の中の主役はいまや光秀の像。

像をよく見ると桔梗紋がうっすらと浮かんでいるところがわかります。

 

大河ドラマが実現して、関わるグッズも販売されるようになったとのこと。