フロイスの信長 周山 慈眼寺山門と境内の石塔

当家奥方の楽しみといえばデパ地下ぶらぶらですね。

私は適当に付き合った後車に帰って居眠りしながら時間を過ごすという感じ。

そういう場合目標は静岡市内のデパートか駅ビルあたりということになりますが、新コロ蔓延以来その回数も少なくはなりましたが静岡より浜松の方がマシだろうということで西の方角に向きを変えつつありました。

 

ところが昨日は浜松市でクラスターが大量発生(30人)。

おぞましい数字です。東京も295人と相変わらず。連休中にも関わらずその数字、次の木曜日あたりに注目したいところ。

だいたい愛知県のあり様を見て西の方が安全とは限らないだろうとはうすうす感じていましたが、感染経路がわからない人またぞろ発声でこれでは市中にも蔓延しつつあると感じます。

東も西もおっかなくて何処も行く気になれない・・・と今は自宅に籠っています。

 

東部、神川県に近い熱海と同じようなものでしょうが今、静岡県内でヤバい都市はといえば①新幹線が停まる②東西県境近く

③在来線が停まる・・・ということでしょう。

ある程度の人混みに身を投じるとなれば市内オンリーにするのが最善の防御策ということになりますね。

 

「Go To」強行は国民に酷い混乱を提供しましたが理性ある人々からすれば笛吹けど踊らず・・・の感。

そして雨天続きの連休ということもあって人出は限定的、これは良かったと思いました。

国としてはその業界に対して面目がたち2週間後は果たしてどうなっているなどはわかりませんが「とりあえずやった」の満足はあったのでは・・・ただしあとから来る「目を覆わんばかりの状況」を招いたとしたならその尻ぬぐいは逃げずにしっかと頼みますよ。

まぁ「専門家の皆さん」の責任にすりかえることなど予想はついていますが。そのための「専門家」ですからね。

 

さて、フロイスからボロクソの酷評を受けた日本の神社仏閣、そして明智光秀について記してきましたが、では織田信長への評価はどうでしょう。

これはやはりべた褒めが多いよう感じます。

 

「才知と騎兵により~都の政権を掌握せしめた。彼は戦争においては大胆であり、寛大、かつ才略に長け、生来の叡智によって日本の人心を支配する術を心得ており、後には公方まで都から追放し、日本王国を意味する、天下と称せられる諸国を征服し始めた。そしてその際、順調な成果を収めることができ、名声と評判と地位を拡大し、制圧した諸国の国主ら数名を殺害し、やがて日本の四十を超える諸国を征服して自らの支配下に置くに至った。」

 

これはフロイスの信長の評価。誉め言葉が散りばめられていますね。

「寛大」については「どこが・・・」と思わせるところですが(その件フロイスは宣教師へのその特別扱いを後述していました)特に「天下」の件、最近言われるようになった「天下=五畿内」説とは反する記述になっています。「天下=日本国王」の件ですね。

 

そしてまたこれは宣教師としての本音の評価。

例の「宣教師の鞭(往々にそれは彼らの神デウスのはからいという形式をとります)」として働いた信長の記述です。

 

「彼にはかつて当王国を支配した者にはほとんど見られなかった特別な一事があった。

それは日本の偶像である神と仏に対する祭式と信心を一切無視したことである。かくてデウスは、それら寺院を破壊するために、彼を仏僧-ボンズ-たちに対するとして用い給うた。

彼には天下の著名な礼拝所である壮大な寺院、大学、邸を破壊し蹂躙し、仏僧と戦い、彼らを殺戮し、破壊せしめる風格ないし影響力が備わっていたものと思われる。」

 

まさにフロイスの心中、満足感溢れるところひしひしと伝わってくるところです。「破壊と殺しの風格」・・・そのような表現は普通(聖職者たる者)は使用しませし彼らの願うところ、望むべき方向性について評価しているところは注目すべき点でした。

 

画像は光秀周山城麓にある慈眼寺(場所はこちら)。

慈眼寺の脇の駐車場の看板が最期の画像です。こちらも篠山藩だったのでした。

本堂背後に石積みがありますが、周山城からの転用考えられます。⑥画像の笠☓2は「お遊び」でしょう。