明智光秀の手による周山城 石垣を見に行く

昨日はお弔いの日でした。

事前の天気予報から覚悟をしていましたが夜明けとともに梅雨が明けたかを思わせる日差しで奇跡でも起こったかとも思うくらいでした。

出棺の際の雨降りは辛いですからこれは予想外の仕合せをいただきました。

 

すると葬場にまた一人新しく採用された方が入っていました。

20日からの採用だそうですが、うまく続いていただきたいものです。現状の2名の方たちが相当ハードワークになっているようでこのままではパンクしかねませんから。

 

そして本葬はこのほど大沢に新しく出来たばかりの葬祭場でした。今回で5回目だったそうです。

施設のコンセプトとしてあったのかご本尊は「西向き」と嬉しい設定。

眩いばかりの空間のピカピカは一瞬ドギマギさせられるほど。

控室と駐車場の位置関係は抜群(近い!!)でしたが、当然に「控え」というくらいですからお城で言えば「大手」側でなく「搦手」になり位置としてホールに出るにはいつものパターン、後方から正面に向かうのではなく部屋のホール側の扉を開けた途端に参列者の前面にイキナリ・・・という位置になります。控室は御本尊の通路を隔ててその脇にあるという感じ。

 

スゴイ!!と圧巻だったのは音響です。

きっと高価で上等な設備なのかと思いますが、ハッキリ言ってこの私であってもオペラ歌手にでもなったかのような(錯覚)心地よさ、陶酔感をこの耳で味合うことができました。

私の声と耳の件、かなりアテになりませんが、気持ちよくできたことは確かです。

 

控室の遮音にも気を使っていたのはおそらく多数の坊さんたちが集まった際のおしゃべり雑談の類を漏らさないためでしょうが(これは結構に恥ずかしい・・・)、逆に控室からホール側の進行状況がわからず、そっと扉を開けておくなどして耳を澄ましておかないと開式タイミングを逃しかねません。

 

「音」の件は、以前の150号線脇にあった時から比べるとはるかに静かな場所になり、また音響と遮音もしっかりした施設ですのでポカをやらかして変な雑音をホールに響かさないか相当気を遣うようになりました。

ちょっとした「音」も拾ってしまう性能の良さそうなシステムからそう思います。

惜しいのは法要開始直後、参列者控室から聞こえる施設担当方の片づけの音。マイクを通さない音でさえ響き渡ります。

式は「先請伽陀」からのスタートとなりますが、発声の間がある時含めもう一つの「音」の発生源たる私の耳にその雑音が入っきます。

まぁこればかりは致し方ないか・・・

 

先般の新聞紙上にもありましたがコロナ禍によってますます葬儀式が縮小化する傾向があると。

今回の当葬祭場の新設に関係者含め、相当の冒険とリスクを感じ取っているようです。

今後葬儀以外の使用も考えているようですが・・・。

なにしろ早いところこの病気蔓延の世がクリアできることを望みます。

 

「Go Toはトラブル」いう人が増えていますが昨日はひょっとして「Go To ベッド」「Go To ホスピタル」・・・? などの声も

聞こてきました。

冗談とはいえカンベンしてほしいものです。

 

さて、明智光秀の周山城について昨日は「穴太衆を連れてきた?」などと記しましたがやはり削平部と切岸等隔てる境界にその石垣を見ることができます。

掻揚土塁に空堀に関しては時として「自然のが作った偶然」と見間違えることもあって、城の遺構としての確証の度合いは100点満点には至らない場合もありますね。

ところが、石積みに関しては人為・作為のものとしてその目的が思案できますのでいわゆる古城探訪の最大とも言っていい遭遇です。

 

そこでいつもの城郭大系より。

「本丸の天守台は四方に石垣があり東西10.5m☓南北13mの広さであるが、一段下って四方に3m幅の郭がめぐらされており、さらに一段下の本丸に含まれる形になっている。大手の城戸口は巽(東南)の方向にあるが枡形を伴っており、天守台は本丸の南側に偏っている。天守台の坤(西南)には凹地があるが用水地か井戸の跡と思われる。」

 

光秀が滅んで一旦秀吉も視察に入ったといいますが、この城址こそ光秀の築城の原型を留めている城であると思います。

 

昨日のブログは私が誤って上書きしてしまったため改めて場所を記します。こちらです。