柏槇の木 西欧風に言えば「ねずの木の話」

おかしな話だこと。キャンペーン「東京発着除外」の件です。

発想がテキトーなんですよね。

それでしたら神奈川、埼玉、千葉もセットにしなくては意味がないのでは・・・大阪でも結構にリスキーに感じますし。

まぁいつもの「何かやった」アピールにか感じませんね。

 

昨日の境内での雑談。

横浜の奥の墓道氏の知り合いが夏のお盆休みに今回は帰りたい旨新潟の実家に連絡したところ「来るな!!」のツレナイ返答があったそう。

 

東京方面に子供らを出していながらこの「新コロ禍」によって「帰ってくるな」と厳しく、たとえ親の葬儀であっても「控えてくれ」と地元に寄せ付けない風潮、要は「今は我慢」の心なのですがその縛りが暗黙のうちにこの田舎町の常識になっている感があります。

 

他の地方でも「観光」とはまったく縁のない人たちはその様に思うこと相違ないのでは・・・?

その中で「Go To~」などと尻腰をお国に押された他人さんがやってきてウィルスをばら撒くのであったのなら「これまでのみんなの努力と我慢がまったく水の泡だ」との話がありました。

 

こうなったら「かまうこたぁねえ やっちまえ」とばかりに「新コロ」大繁盛の横浜から息子や「奥の墓道氏」を呼び寄せようか・・・とも開き直り。

彼らが「無発症感染者」でしたら私が自爆するようなものですからね。悩みますよ。

 

お国がバカというかわかっちゃいない・・・というのが私が思うところですが、キャンペーンを催行するのならそれに手を上げる人に検査をして陰性証明カードでも発行していただければと思うのですが。

その人たち限定にして「Go」してもらえれば一定の安心につながるというもの。

 

東京のあの方は都の飲食店用に「感染防止徹底宣言ステッカー」なるレインボーカラーのお墨付きを証するグッズの宣伝をしていましたがさて、その根拠は・・・

そちらに「安心」を込めようとしたものなのでしょうが、呆れたのはそのステッカーに都のしかるべき機関の検証などはまったく無くただ都のサイトにアクセスしてアンケート様のものに応えるだけでダウンロードできるというもの。「出しっぱなし」の虚証でした。幼稚園のお遊びの如くですね。

 

昨日はやることなすことすべて空回りで滅多にないような「徒労の日」でした。

長雨でたまりにたまった花ガラを処理場に運ぼうと準備しだして「さぁ軽トラに」という段になって呆然。

バッテリーがあがってエンジンがかりませんでした。

2か月ほど前にも同様の事がありましたがその際は奥方と婦人部の部長さんに押してもらってエンジンをスタートしていました(押しかけ)。

 

今回は奥方独りで押してもらいましがスピードが上がらなかったせいか(奥方は「腕が痛い」と嫌々ながら)2度チャレンジするもダメ。そしてロープを持ち出して軽に引かせてスタートを試みるもやはりダメ。そのドタバタで午前は終了しました。

ジャンプコードの問題ではないと思い午後一番バッテリー4000円を買いに走り接続。

それでも勢いよくセルは回ったもののエンジンは点火はせず。

 

自己流診断では電気系か燃料系の故障かと・・・もはやお手上げとは思いましたが点火プラグが死んでいるのなら無駄な投資でも1500円(3本)とそれを買いに走りました。

点火プラグは以前でしたらどちらでも店頭に並んでいましたが3件目のカー用品店でようやくみつけることができました。

あんなものを自分で変える人もいなくなったというか、プラグ不要の車が増えたからでしょうね。

単価も低いし店としては魅力に欠ける商品なのでしょう。

結局プラグの原因ではなかったようで昨日一日はバカの三乗をやらかした思いで地団太を踏みました。

 

さて、昨日記した昔の写真画像、拙寺本堂脇に立つ柏槇(ビャクシン)ですがまぁその木は色々呼び名もあって異種も多様。

何度か拙ブログにも登場していますがやはり鎌倉建長寺の大木整列を思います。

 

そして最近になって「その時はこちらに」と遺骨を先祖伝来の墓地ではなく境内の「木の根元に」と奥方と軽口を言い合う場面が増えてきましたが奥方はこの春に植えた「蝋梅の根本に」と言うようになりました。

 

境内は墓場のようなものですから私はどちらでもかまいませんし、それは後に残るものがやることですが、敢えて言えばこの柏槇の木の根元への思いがあります。

よって奥方が「先」だったとしたら・・・私は「柏槇の木」(蝋梅ではなく)と言っています。

 

ちなみに妹の息子はそろそろ30歳の声ともなりますが、幼児のころ親の御仕置の常套句が「木のところ連れて行くよ」でした。

大木が喋っている何かの画を見て恐怖心を覚えたのか大きな木に異常に怯えるところを見せていました。

 

東洋では昔から木には「生命の芽生え」を表します。

「五行(思想)」(木火土金水)の最初が「木」ですし十干(じっかん)~甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸~の「甲・乙」の読みは甲「きのえ」<木の兄>・乙「きのと」<木の弟>とそのスタートとなりますね。

「木」への畏敬は幼かった彼のイメージとしては少々違うかも知れませんが人の正しい生命への向かい方なのかも知れません。

 

この柏槇、呼び方も種類も多様ですが欧州でいえば「ねずの木」とも呼びますね。

その「ねずの木」にまつわるお話といえばグリム童話です。

その辺りの内容は各お調べいただくとして(「グリム童話 ねず

 

の木」でググってください)、奥方の「腕が痛い」責任として

 

私は「萩間川だ」(遺骨を納める場所)とのこと。

 

昨日の件、相当恨まれました。

 

最後の画像は昨日の夕方の東の空。何故か「東京のステッカ

 

ー」が現れました。

 

さぁ軽トラどうしよう・・・雨に濡れないよう花ガラは屋根のある

 

場所に移しましたが・・・