ここにも「一隅を照らす」願興寺 中山道御嵩宿

正論すぎる正論「検査を増やしたから陽性者(224名)が出るのは当たり前」のご主張には首を傾げました。

検査数を絞りまくりまた検査体制を拡充せずに放置していて(その件3月ころから耳にタコができるくらい指摘されていました)「夜のお仕事」ばかりを魔女狩りの如くその原因としながらまさに「野放し」状態にしていたのですからね。

「感染経路不明者」についての対応がまったく無策なのですよ。バトンタッチ無限の連鎖を容認しています。

 

偏に検査二種(PCRと抗体)を徹底的に行うシステムが必要なのにもかかわらずです。まぁ検査結果をFAXでもって報告するというその組織ではムリな話かもしれませんがね。その件大いに驚かされましたが。

 

やはりやらなかった理由としては検査と対応(隔離と保証)におカネをかけたくないということ。そしてあのお祭り(オリンピック)の開催のイメージダウンにしたくないということ、また経済活動をストップをさせたくないというのでしょう。

 

夜のお仕事業界におカネを出して(検査料と自粛保証・・・)検査をしてもらうという声があがりましたが、あいかわらずその世界限定の検査の件でした。

疑問ばかりが残る施策ですが医療関係者への補償はどうなっているのでしょうかね。

ニュースでは

「東京女子医大で看護師400人が退職希望『ボーナスゼロ給料減額では最前線で働けない』悲痛告白」なる見出しが躍っていました。

コロナを受け入れた医療機関の9割が赤字といいますが今、街の病院などどちらもガラガラですよ。

感染が怖くて通院に診療を我慢する人が増えているようです。中小病院の大赤字の件も先日記しましたが思わぬ方から「医療の崩壊」が来るのかも知れません。

具合が悪くても「誰も診てくれない」ということです。

そしてお医者さんだって「コロナは御免!!」でしょう。

 

最近言われ出した抗体の件。

東大の先生が仰っていましたが奇妙なことに「陽性だが抗体がない人がいる」と。

以前から無症状陽性者の存在について騒がれていますがこれは特別。

体内に残る抗体の有無についてこれまで着眼していましたね。かつてのウィルスとのお付き合いの経験にて発生する抗体の存在がその無発症の理由となっていたのですが実は陽性無症状でなおかつ「抗体が無い」と言う人がいるというのです。

 

これは東洋人特有で東洋人に陽性患者が少ないという一因かとも推測されていますが、どういうことかといえばその人の持つDNAレベルでの「記憶」としてこのコロナウィルスを「かねてから知っていた」ということとなるかと。

はるか彼方大昔のご先祖さんの時代からのお付き合いがあってもはや異物と解していないということなのかもしれません。

 

これは陽性無症状無発症のピンピンした健常のキャリアが世の中意気軒高に、あっちこっち動き回れば、「新コロ」との出会いが初めての人にとっては相当なリスクとなりどんどん感染していくということになりましょう。

 

抗体自体も消滅しやすいという説もありますがバンバン検査数を増やして(一人で複数回検査、定期的検査は当然)いくことこそが国民の命を守ることに繋がると思うのです。

今の東京と政府の方向性は「最悪の事」に関しては目を閉じあたかも博打うちの如く「GO TO」しようとしているように思えてなりません。

雨天続きで家籠りの日々ですが、これから梅雨が空けて気晴らしにと人混みに身を投じることがあればそれこそ自殺行為であると私は考えています。

スポーツイベントに「観客を入れる」とのことですが、「おっちょこちょい」だけでは済まなくなるかもしれません。

それが杞憂にすぎなかったと振り返ることができればまさに仕合せです。

 

さて先日は可児の明智城大手道入り口手前の東栄寺について記しました。

「一隅を照らす」の文言が光っていましたが御嵩の願興寺にも掲げられています。勿論「天台のお寺」の主張ですね。

場所はこちらですが昨日の駅前の画像の右側に見える築地塀がそうです。

 

可児才蔵が幼き頃こちらで仏飯を食んだというお寺です。

先日も可児の大河館の画像をアップしましたが、こちらは「笹の才造」への愛着が深い土地柄でした。

 

「一隅」は片隅(国の)のこと。財物(経済)ばかりスポットを当ててるばかりではね。

国民の命が危ういというのに・・・