明智七将の墳 長山城(明智城)  七ツ塚 可児氏も

熊本相良村の名がテレビから何度も。

人吉はじめ熊本を襲った集中豪雨によって球磨川の堤防決壊が各所で発生したといいます。

当牧之原市と友好都市でもある人吉市の困窮に「さぁどうする」牧之原市・・・といったところ。

 

それにしても被災者から「こんなこと初めて・・・」との声がありましたが自然災害とはそういうものなのですね。

しかし人吉の盆地はどう考えても四方は山岳地で極めてそのトレー(盆)の水は溢れやすいところが見て取れます。

歴史上では頻繁に球磨川の氾濫があったことは推測することができますね。

避難と生活苦難がコロナ禍に重なった状況となりましたが、世の無常とはそれ以上の「禍」をも含めなくてはらないのでしょうか。

 

牧之原市として人員を送り出すことは不可能でしょうし、大した支援などできるはずありませんが、せめて被災地域の復興までの期間、子供たちや施設年配者の受け入れなど検討していただきたいですね。

片浜小学校が空いています。

希望者の有無をどうのこうのと思量するのではなく「友好」の文言の証として何か手をあげて欲しいところです。

「言うは易し行うは難し」・・・はいつもの私の事。

 

熊本の豪雨と静岡各地のまとまった雨による被害とは裏腹に、こちら牧之原市はいつもの「前線通過国道一号線理論」(私の勝手な持論)の通り少雨。

前線の通過する場所がいつも国道一号線に沿っていて大平洋に出張った沿海部・・・当地相良は案外降らないということです。

 

いつものように法事は「ウェットスーツ持ってこい」の状況を覚悟していましたが、寺を出る間際は小雨はあったものの傘の持参はなし。

最後の墓参の際はお陽さままで顔を覗かせていました。

みなさん同様に「おかげさま」と。

 

昨日はまた静岡新聞読者投稿欄「ひろば」頻出お馴染みの秋野氏より「先日の植木等、視た?」と。

そういえば私は直前まで覚えていたもののてっきり失念していました。

時に植木等をネタにお話しをさせていただいてまた、自身敬うべき先達としていますので是非視聴したいと思っています。

再放送「歴史秘話ヒストリア」は

7月7日(火)午後3時08分~ 午後3時55分ですね。

 

さて、可児長山明智城の二の丸平坦地に7つの小さな墳墓が並んでいます。

掲示板によれば

溝尾庄左衛門

三宅式部之助

藤田藤次郎

肥田玄蕃

池田織部

可児才右衛門

森勘解由

の名があげられています。

彼らの苗字が元々ある土岐氏縁故の名なのでしょうね。

昨日記した「可児」さんも。