「相良海老」南鐐二朱銀 ボロクソ 片は「ひら」 

昨日は午前中は法事。

世の中、越境制限解除ということで高速道路の大渋滞に閑散だった観光地にも人が戻っていました。

日曜日も法事が入っていますが土日しっかりお仕事をするというのは2カ月ぶりでしょうか。

 

WHOは「パンデミック継続中」と言っている中、かなり緩んだという感ありますが、果たしてそれで良かったのでしょうかねぇ。

それにしても先日の晴れ間に奥方と東濃にぶらりと出かけたのではありますが、その行動は後ろ指を差される行為だったのですね。まぁ、真昼間の遠乗りのこと指摘されても、歓楽街の夜遊びいわゆる三密とは程遠いお遊びでしたからね。

 

昨日は史料館にて史跡調査会の定例会。

各、資料をお持ちになって紹介いただきましたが、コレはと思った話題を2件。

1つは藤枝の郷土博物館で催されている「日本一の軽便展」について。特に画像④の場所について片浜ではなく須々木とのご指摘。そもそも写真とは思えず目を凝らしましたがやはり画描ではないようです。

すると「軽便の背後に海が見えるがその間に芋切干の棚があるのは須々木であって片浜ではない」とのこと。地頭方に住まわれた増田氏がそれを強調していました。

やはり実際に何年もその車両に乗り続けていた人は違います。

私など小僧っ子の部類をあらためて・・・

 

そして今一つが新作お菓子の件。昨日に続いておカネの話でもあります。

それが「南鐐二朱銀」を牧之原市のお菓子屋さんが商品化したとの新聞記事。静岡新聞でした。

驚きました。その名称はあまりにも世の中の人々の耳には入ってない語ですからね。

 

ということで早速吉祥寺の叔父に連絡。

以前は面白がって「賄賂最中」を大量に取り寄せて周囲に配っていましたからね。

新聞記事によればブラっと出かけてひょいと買える代物ではなさそうですが、その名称が牧之原市でも相良からは近くない、坂部のお菓子屋さんの商品名に使用されたということには驚愕でした。

少なからずそれへの知識がなければその発想は出るはずもなく。

「売れる売れない」という感覚を超えてそれをやってみるというバイタリティにも敬服ました。

昨日の参加者のみなさん一同「食べてみたい」と。

法事が終わったら坂部まで顔を出してみようか・・・

 

さて南鐐二朱銀については各お調べいただくとして、この通貨の面白いのは貨幣の表面に「以南鐐八片換小判一両」(8枚で小判1両に換える)と親切にというか念押しというか「文言」が記されていること。

尚「片」は「ひら」と読みますね。

 

この南鐐二朱銀は幕府財政逼迫期にあって効果はあったものの、コレまでの含有率や目方での価値観から商人たちの違和感もあって松平定信の中傷材料となったものです。

相良海老での記述も酷いあり様です。

あのお菓子屋さんも静岡新聞も気を悪くするかも知れません。

 

先日出版された「相良海老」での記述について、後半(田沼バッシングが激しくなる)に記されていたことを思い出して叔父にそのページをピックアップしてもらいました。

叔父はパソコンにデータとして残していますから「検索」をかけてもらえれば瞬時ですからね。

 

それが147、173、186ページ。参考まで。