非情成仏絵巻 付喪神 崇福寺のスタンス

昨日の東京12人。神奈川は3人。静岡で1名でしたが海外からの帰国家族の子息とのこと。

静岡では石が飛んでくるパターンですね。くわばらくわばら。

 

変調に陥っている横浜の「奥の墓道」氏は自宅籠城三日目にして医師の元に。昨日の電話での「来るな」風処断の際に告げられた「不調が続くならば明日・・・」の通り昨日は診てもらったそう。「熱は下がったがのどの痛みが・・・」とのことでした。

 

結論は「咽頭炎」。

完全隔離部屋で防護服姿の医師が登場しての検診だったそうですが「神経質になりすぎ」と彼の頼むPCR検査については一喝「やらないでイイ」と一蹴されたとのことです。

 

保険適合お気軽とんどん・・・といった政府のエライ人たちの掛け声とは裏腹、現場では「そんなことやっていられるか」の如く拒絶されています。

自宅に帰ってから「巨人軍選手全員の検査」の件、「やれるところのみができて 一般人は野放し」とボヤいていました。

私も彼がコロナではないだろうと症状とその元気さから、だいたいわかっていましたが万が一ということもあります。

本当の安心を与えるのが医療であって、またも厚労省の「口だけ」の愚図対応に腹が立ってきました。

 

庶民はいつも後回しで「勝手に野垂れ死ね」のメッセージにも受け取れます。

尚医療費には「防護服代」のカテゴリーがあったとか・・・

医療従事者も大変だとは思いますがここはひとつ頑張りどころですからね。

みなさん報酬も激減だといいます。

先般病院の上空に戦闘機を飛ばして「感謝」などいうパフォーマンス的イベントが報道されていましたが、それをやるべきことなのか少々疑問でした。

そこにおカネを使うなら医療従事者に特別なカタチで金員や資材を提供することの方がよほど現実的かと。

 

さて、昨晩のNHK「歴史秘話」は松永久秀。

あの多聞城(またはこちら こちら)墓石にスポットがあてられていました。

 

番組では信長に囲まれた久秀が信貴山城で名物「平蜘蛛」と爆死するという演出はありませんでしたが当初久秀が信長に献上した付藻茄子(静嘉堂文庫美術館)-名物唐物茄子茶入れ(「九十九髪茄子」)が紹介されていました。

 

足利義満より足利家の家宝としてあったもので足利義政が山名宗全の息子に渡してから戦国の世をあちらこちらと回ったところで久秀が購入したものでした。

 

「付喪」(つくも)とは「付喪神」から。

私の家には壊した蔵や後堂からおびただしい小道具、食器類が出て今もかなりの量がありますが、奥方に首ったまを掴まれて「早いとこ何とかしろ」と言われ続けているのですがなかなか処分できない私がいるわけで。

 

生来のケチな根性もありますが、コレは母方の祖母すずさんの「物を大切に、勿体ない、ありがたい、申し訳ない、目が潰れる」の物言いを聞かされてきたからの所以です。

特に古いものは捨てがたい。

と言いながらもまごまごしているうちに朽ちて捨てることになるのがこれまでのパターン。

 

それら祖母から母にそして私に刷り込まれた「物の大切さ」の教えはおそらくその「付喪神」からきているのではないかと思います。

「器物」(非情の物)は百年が経つと精霊を宿し「付喪神」となる要は化け物になるという言い伝えです。

 

「有情」の者でもエラくなって年を重ねると「化け物」になるようなことと同じですがタチの悪いのは「死なない」ということ。

そういうことから考えると、人には「死がある」からこそ社会がうまく廻っていくのかとも考えられるのかも知れません。

新しい命、その考え方とのバトンタッチが必要ということ。

するとただいたずらに「定年延長」というカードを切るではなく新しい人材を育てる方に注力していただきたいものです。

 

まぁその「付喪神」は人々が散々使いまわしてポンコツ、古くさいとばかりに捨て去るその「器物」たちが怒りだして社会に悪さを働くというもので、それらのストーリーは絵巻物として教訓的に残っています。

 

先日は快川和尚の「濃州南泉寺→甲州恵林寺」について記しましたが、快川和尚は稲葉山城下の崇福寺に居たことも。

話が飛びますがお寺の三世の快川和尚が甲州で信長の手で無残にも焼殺されたという経緯があるにもかかわらず信長父子の位牌堂があるというところ、心の小さき私など眉を細めるところでしたが。

 

その崇福寺には日本最古のものといわれる「非情成仏絵巻」別名「付喪神絵巻」が伝わっています。

絵巻抜粋画像は京都大学付属図書館のもの。

漫画的というかほとんど素朴感満載ですが「あらゆるものに仏心がある」ことを伝えたものと考えたいですね。

 

慙愧も感謝も自ずから発生、「自画自賛」などの体の慢心についてはもし気づきがあったならば平常心など保てるワケがなく、また恐れ慄かなければ居られないほどの戦慄と恥辱に襲われるものなのですがね。それこそ有情の者。

 

まだ届いていない例の「マスク」も嫌悪で見るばかりでは彼らの「仏心」に応えられませんね。

非情の者のアクションは無常で儚いもの。

 

お寺にもしお持ちいただければ近くの老人ホームに届けますが・・・

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 04 6月 2020 09:04)

    昨夜 水のめぐみ公園へ行ってきました。
    懐中電灯は忘れずに。蜘蛛の巣がたくさんありました。
    それでも5,6匹は見ました。しかし 草がいっぱいで
    早々に帰り支度。帰りに朝比奈川(さつき自動車坂道下)に寄りましたが
    そこは道路脇冷蔵庫の脇に停め、眺めたら、ここでも4、5匹見れました。
    いい夜でした。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 04 6月 2020)

    ありがとうございます。
    以前永田さんもこちらに案内したことがありその時は時期の早い遅いもあるかも知れませんが今よりずっと飛び交っていたことが印象に残っています。
    時間の経つのははやいものだとあの暗がりで感慨に耽りました。

    さつき自動車近くの件、初めて聞きました。
    菅山あたりでもまだまだ見られるところがあるようですが、相良の自然は
    捨てたものではないと自慢したくなります。