南泉寺土岐家累代供養塔上の覆堂五輪塔は土岐頼純

昨日の東京22人。神奈川は10人。 

また増えだしました。耐力限界という中、緩和雰囲気が人々の心に隙を生んでの結果でしょうね。

 

昨日は前夜の通夜に続いて出棺葬儀、お悔やみに参りました。

「宣言」期間初期に出向いたことがありましたが以後そういった法縁はありませんでしたので「新しい方式」は初めての体験でした。

 

まず驚いたのが通夜。

仏事開式がなんと17時からでした。夏至も近い夏の通夜といえば冬季の18時→19時開式というのが一般的になりますがこの早い時間の開式はコロナ対策ですね。

 

まず親族のみで通夜式を執り行い、坊さんは終了次第退散。

18時より一般会葬者の焼香という区分けがなされたのでした。

式終了後帰宅、お寺に到着した時間がまだ日没前で「通夜」という感じにはありませんでしたね。

 

そして、会場のエアコンは当然にオンにはなっていますが、通気を良くするために窓や戸は開けておきますので外の車の音も気になりまた、なにしろ暑い。

その暑さの中マスク装着の上「小声で」というわけにはいかない読経の時間は結構に辛いものがありました。

 

不敷布マスクの装着でしたが息継ぎのタイミングはまぁ許容範囲ですが、暫くするとマスク内部の繊維がほどけたか汗とそれが反応してやたらとむず痒い。繊維が自らの声に震えてそれが増幅します。

 

義母が作ってくれた布製マスクは既に一般の法事では登場させていますが私好みということで3点ともネコ画。

さすがに葬儀にはやめておこうということになりました。

長時間読経に適したマスクとは何ぞや・・・一つ課題となりました。

だいたい「デカい声で話さない」というコロナ禍下の掟に反することを三密の中で執り行うことにムリがあるのですが。

 

昨晩は五木寛之87歳が夜のNHKのニュース番組に元気に出られていました(「在宅」でした)。

今かつての師の著名な書籍「大河の一滴」が再着目されているといいます。

 

その書の原点は当流開祖親鸞さんでしょう。

真宗的発想をベースにしていますのでその時間はしばしテレビを注視。

「苦しみの中から光を見つける」「時代を精いっぱい生きる」コロナ禍にもがく我々へのメッセージがしらされていました。

 

また「独りで生きているワケではない」という言葉に昨日の故人の法名にあった「紐」(ちゅう)という文字に準えて「おかげさまと有難う」についてお話させていただいたことを思い出しました。その文字「紐」の使用は初めてで故人の息子さんのリクエストでした。「紡ぐ」「繋がる」をイメージしました。

 

画像は昨日記した土岐氏累代供養塔の丘、さらにその上にある覆堂に納まる五輪塔。

こちらが連日ブログに登場している当初の「帰蝶」の婿殿、土岐頼純の五輪塔と。

「水・火」が少々特徴的な形状です。「風・空」に「地」は一見もしかして後補か別物か・・・

 

 

近くに散らばっている五輪塔残欠はまさに一統代々に関わる人々の生きた証でしょう。

堅い石であっても未来永劫伝わっていくことはいかにも難しくそれが成ったとすれば奇特なことです。

 

そう考えるとたまたま得た栄華など刹那であって誠に儚いものであると感じます。

だからこそ一所懸命に今を生きようという気持ちになるのですがね。

①~南泉山門までの様子。あの頼芸の鷹の絵があるのはこちらです。

最後の画像が手作り布マスクのネコ画。

葬儀にコレはさすがに・・・遠慮しました。

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コメント: 2
  • #1

    kurikuri (日曜日, 31 5月 2020 00:38)

    コロナ禍のため満足な葬式があげられないことは心が痛みますね。
    人一人がいなくなるってとっても大きなことなのに、してあげられることが限られますから。
    死に区切りをつけるのが、知恵をつけた人間が考え出したことですからねえ。
    横地城周辺でも散乱した五輪塔を掘り出して集め、とにかく積んで供養したといわれています。今川支配の過酷さを感じる出来事ですね。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 31 5月 2020 01:20)

    ありがとうございます。
    これからそういった儀礼はどんどん省かれていくような。
    先日も記しましたが「袖触れあうも多生の縁」の喪失もありますが、人間同士の
    関係もぎくしゃくしてうまいこと回って行かないような気もします。

    あの茶畑など周辺にはまだまだ「新発見」が埋まっているでしょうね。