人事を尽す 不朽の与謝野晶子 大桑城十五社神社の杉

昨日の東京の新規発症者は10人。神奈川11人。

少し驚かされたのは静岡は伊東にて20日ぶりの感染者が出た事。この方は今一番に「怪しい」と私が勝手に評価している神奈川県在住のその友人たちと「静岡東部の宿泊先」を利用していたとのこと。

 

本日から今や静岡の代表的飲食店「さわやか」が営業を始めましたがそのうち県境に近い店は自粛を継続しているといいます。県境またぎの人の往来を招くことによって店が感染の巣窟となるのを避けようというものでしょうが賢明な対応と思いました。

この店は1カ月もの間店を閉めていましたがなるほど以前は物凄い繁盛ぶりで三密どころの騒ぎではなかったですからね。

入店待ちのシステムも店内ではなく、車の中で待つというものにしているようです。

 

最近SC駐車場等で見かけるようになった景色といえば、車中で弁当を頬張る様子と画像⑥の如くのステッカーを貼った車。

飲食店の閉塞空間は怖いので弁当を購入、自分の車の中で食べるというスタイルですね。そしてステッカーについては「自粛警察」避け。

石やタマゴを投げつけられ、蹴飛ばされ、傷つけられるなどの話がいたるところで聞こえてきましたからね。

 

私はコレと同じようなもの、たとえば「滋賀県内在住です」・・・京都府内です、奈良県内です、そして岐阜に福井などなどお好みで作っておけばその件については「安心だ」などと思いましたが・・・

これは賭けマージャンと違って法には触れていませんのでね。

DIYでそれらしく作ってマグネット式で脱着可能としましょう。

前後1つずつ貼り付けておけば尚安心かも。

 

昨日はテレビ番組の中で与謝野晶子の言葉に触れることができました。

それは1920年1月25日の「横浜貿易新報」に掲載されて1918年に流行したスペイン風邪についての寄稿といいます。

タイトルは『死の恐怖』。

与謝野晶子の骨の通った思いを感じることができました。

 

「私は今、この生命の不安な流行病の時節に、何よりも『人事を尽して天命を待とう』と思います。

『人事を尽す』ことが人生の目的でなければなりません。

例えば、流行感冒に対するあらゆる予防と抵抗とを尽さないで、むざむざと病毒に感染して死の手に攫取(かくしゅ)される~つかみとられる~ような事は、魯鈍とも、怠惰とも、卑怯とも、云いようのない遺憾な事だと思います。」

 

「さわやか」を代表に静岡のみなさんは少なからず「人事を尽くす」方向に動いているよう感じます。

我慢強いのは群雄が割拠、時に蹂躙した「戦国東海」からの「歴史の連続性」の中からの繋りがあるからなのでしょう。

まぁ国のこの病気への対応が「魯鈍、怠惰、卑怯」というのは誰もが納得するところでは。

 

さて、昨日は地元笠名の「椀貸せ松」の朽ちた株について記しました。

松は拙寺にもかつて大木含め2本の松がありましたが、今は二つとも枯れはててしまいました。

マツクイムシにやられたようですが、松は巨木になりにくいというか寿命が短いですね。

 

それに対して杉は強烈に長生きでまた巨大化します。

そして人の入らないというか、禁忌で人の伐採から守られ続けてきた(歴史の連続の中)特殊な場所~神社仏閣~にはその大木は普通に見ることができますね。

 

画像は岐阜山県市、大桑城下の十五社神社の杉の大木(場所はこちら)。

神社は土岐頼芸が大桑城に入って石清水八幡宮を勧請し、「十五社大権現」と改称したとあります。

 

杉の大木というと与謝野晶子は阿蘇、内牧城の1000年杉で作られたといわれる宿に泊まった際「~阿蘇氏びとの 千年の杉」を詠っています。

死ぬまでに行けるか内牧城。贅沢してみたい・・・。

 

④⑤はもっと南国、沖縄産ブーゲンを挿し木して地植えしたもの。門被りの松ならぬ門被りのブーゲンを東側墓地入口の槙に沿わせました。

既に10回以上の厳冬期を耐え抜き今年は結構満足がいく咲き具合になりました。

暖冬のおかげで枝枯れが少なかったせいでしょうね。

あの位置は四方から風が吹きまくる場所で南国育ちには試練でしょうね。何度か枯れかかっています。