永禄三年五月十九日桶狭間に 今川義元像お披露目

昨日の東京の新規発症者は5人。神奈川8人。

解除の目安となる10万人当たりの感染者数「0.5」にはともに届いていません。その数値でいえば神奈川は「1.0」に近くまだまだといったところ。

 

横浜在住の息子は日曜の夜が37.5度、翌朝月曜が37.9度と頭痛と喉痛を訴えましたので月曜日は仕事を休んで医者へ。

火曜日は後頭部に腫れが2か所出たため再度病院へ行ったそう。

2回とも医師からは「念のためPCR検査をしましょう」なんて声は出ず、「様子を見ましょう」と帰されたとのこと。

ちなみに後頭部の腫れはリンパに風邪のウィルスが入ったのだろうとの処断。

 

(ただの)「風邪でしょ」の診断は嬉しいといえば嬉しいですが、「おいおい ちょっ、待てよ」の感。

このご時節「新コロ」だったら「どうしてくれるんだよ」が患者の切実でしょう。

まったくこの国のやり方「37.5度4日間」(こにイメージが強く残っています―私どもの「誤解」だそう)もそうですが、まるっきり「わかっちゃいない」というのが実情。

 

昨日テレビで聞いたこのウィルスの特性は、感染して症状が出るくらいまでが一番感染力が強く、8日くらい経つと感染力は消滅する・・・などとのことでした。もしそれが本当だったら息子のように「様子見て」の間がかなり感染源としてヤバい時間だということです。

 

食事は?と聞けば「近くのコンビニやスーパーで調達」と言っていましたからもし「新コロ」感染がビンゴだったとしたら彼が感染源になるということです。

 

今月中には唾液採取によるPCR検査が保険適用になりそうですから、検査はお気軽になるとは思いますが、その手の検査キットは既に出来上がっているといいますので、私からすれば厚労省は「もっと早く仕事しろ」ですね。

検査薬に副作用などあるものか・・・バカ野郎。

 

奥方が言っていましたが医師にそう言われて帰されそうとしたのがもし私だとしたら「病院で暴れるだろう」と。

その通り、違いない。「安心させないなら隔離しろ」ですね。

ここは暴れるところでしょう。

 

尚息子は昨日昼には平熱に戻っています。これはおかげさま。

タダの風邪ということで。しかし本日も様子見の自宅待機か。

 

昨日は夕刻から静岡駅前のパルシェへ。

全館再開して初めて食品売場を歩きました。

人混みは以前と変わらず、静岡は18日間発症者が出ていないことをいいことに私ども含めてみなさんイイ気なもの。

ノーマスク、男性のみでしたが一時期より大分増えましたね。

10日後くらいかな・・・次の波は。

 

昨日のニュースでしたが東京都は全ての都立校(250校)に体温を感知できる「赤外線サーモグラフィー」を配備するというもの。区市町村立の小中学校や私立校は費用の半額を出すそうです。

 

これが各施設の水際対策で安心担保の一選択肢というもの。

今後学校以外の公共施設は勿論、私設店舗等、来客者に安心を提供するためにそれを設置することが当たり前のことになるでしょうね。

ガン式の測定器を駆使しての入店者チェックをしている店舗も増えましたがそれではスマートではありませんね。

客商売につき違和感が残ります。

さりげなく「チェックは怠りなく」を「表現」できれば客も安心です。

 

さて、昨日の静岡駅前北口は「今川シンポジウム2020」のメインイベント、今川義元像除幕式のあった日。

永禄三年五月十九日(桶狭間)に合わせたものですね。

私も今川研究の第一人者の小和田先生が以前から「静岡駅前に今川義元像がないことは甚だ疑問である」と永らくお聞きしていたためとても喜ばしく慶事であるとこの日にお顔を拝しに参上させていただきました。

 

尚、当牧之原市の史跡調査会系の皆さんはこの件とてもクールのように思います。

ことに思い出すのは神主で刀剣研ぎの職人である中村先生のお兄さん(榛原高校の元教師 既に逝去されました)は今川家の話になると震えんばかりに罵っていたことを思い出します。

話し出したらもう止まらない。

これは勝間田・横地を今川義忠が滅亡に追いやったことからですが、それについて「いま」怒り狂ったとしてもねぇ・・・

 

ちなみに以前小和田先生を招いて拙寺本堂での講演会を催したことがありましたが、中村先生(兄)が「ひとつ締め上げてやる」くらいの勢いで乗り込んできましたので「どうか本日はお寺の事でご配慮を」と絶対に暴れないよう周囲の皆さんにも釘を刺していただいたことを思い出しました。

 

小和田先生にも事前にその件をお話ししていましたが「ぜんぜんOK 心配しないで・・・」でしたね。

トークにはトークで「本当のプロは違う」と唸ったものでした。

 

レイアウトは小和田先生の銅像構文の如く、「歴史の連続性」を意識されたもので竹千代を後ろで見守る今川義元というもの。

当初、束帯姿の義元も案としてあったそうですが、こちら甲冑姿が採用されたのでした。

私が勝手に思ったこと。

「海道一の弓取り」だけに弓を片手に・・・などと想像していましたので。

顔つきも精悍で強そう。悪くないですよ。

⑩遠景の義元の背後遠くに家康像が見えます。

北口に三体。静岡駅の新名所へどうぞ。

 

牧之原市では田沼意次の銅像が立ちますね。

僅かですが寄進させていただきました。

 

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コメント: 4
  • #1

    くりくり (水曜日, 20 5月 2020 00:59)

    私は、小笠の人間なので、地域は今川からも武田からも徳川からも攻められ、寺も畑もなくなり、あるいは戦の前線を任され、武士も百姓も流浪を余儀なくされた歴史がありますね。とはいえ、今の世で恩讐はないですけど。

  • #2

    お祭り大好き (水曜日, 20 5月 2020 07:25)

    除幕式当日のお出掛けお疲れ様でした。 今川義元像は後日ゆっくり観賞する予定です。
    例年5/19に一般公開される臨済寺の今川義元の命日忌法要が休止されたことが残念であり、6/23の増善寺における今川氏親の命日法要に参拝したく考えています。
    昨日は今川シンポジウムをYouTubeで生視聴しましたが、再視聴できる模様につきもう一度確認予定です。

  • #3

    今井一光 (水曜日, 20 5月 2020 07:42)

    くりくりさん、ありがとうございます。
    仰る通り、歴史の中で毎度超のつくような苦労を強いられたのは民衆ですね。
    といいながらもそういった封建社会の底辺を担って支えていたのも民衆でした。
    今は、ご先祖様のご苦労は忘れて、名のある人を持ち出して町おこし。
    それも悪い事ではありませんね。
    私は小和田さんの通り「歴史の連続性」に花を添える意味で武田信玄や伊勢宗瑞の銅像が建ってもおかしくないと思っています。北口スペースにはまだまだ余裕がありますからね。
    いっそのこと駿府関わりの戦国武将を勢揃いさせたらインパクトがあるでしょうね。
    あげていたらキリがありませんし予算もないか・・・

  • #4

    今井一光 (水曜日, 20 5月 2020 07:56)

    お祭り大好きさん、ありがとうございます。
    法要への参拝はどうも苦手で遠慮していますが、銅像は私の不躾を鷹揚に許容してくれます。まぁ昨日は買い物を兼ねてということもありましたが。
    私もYouTubeで視聴しましたが、臨済寺のゲストのトークの際に携帯が鳴りだして、カメラマンが慌てて小和田先生にカメラを切り替えていました。
    先生が一瞬ドギマギするというシーンがありましたね。
    先生がトークを始めた際もその携帯電話の呼び出し音が鳴っていましたが、その場面の再放送はご当人にとって気の毒といえば気の毒。
    しかしああいう場で携帯の電源を切っておくことは最低限のマナーですし自己防衛でもありました。