山県市中洞の桔梗塚の伝承 光秀墓と荒深姓

昨日の東京の新規発症者は10人。神奈川は8人。

問題は先週末大いに賑わいを戻した各地の風景。感染者数の反動が推察されるところ。

繁華街に繰り出している人々の姿が報じられていました。

 

よくよく考えれば、根拠の無さそうな解除の判断ではありますがタガが外れたように各三密状態の中に飛び込んでいる人々がいてそのお楽しみのあとに感染が広がってから、「稼げなくなったので補償しろ」というのも結構ムシがイイ話なのかも。

 

私も含めて勝手ではあります。

まぁ人々のそれを制御コントロールしていくのが国の務めなのですが。

それぞれが自業自得、因果応報の中に生かされていることがわかります。

 

国vs国民、懸案課題だった「#検察庁法改正案に抗議します」の件、強行採決は見送りになったようですね。

これはまさしく「民」による一揆。

一市民が発したそのハッシュタグが社会全体に広がって同調者多数、世論の大波となりました。

その大波は総理が当初はこのコロナのドサクサにやればチョロい・・・と思ったかその目論んだ短慮を留めさせました。ソーリ殿のやりたい放題は芸能人チームに検察OBチームも「看過できない」と世論の尻腰を支えましたね。

とにかくもまたしても彼のウソばっかりの見苦しさというものが分かったワケで。

 

さて、昨晩はNHK7時のニュースのあとの「家族に~」の番組を真面目に視聴しました。

大抵はニュースのあとの夕食タイムとなりますので殆ど流して見る程度ですが、その日は結構に何かを待つように観ていました。

訪問地が山県市でゲストがあの「帰蝶」だったからです。

ちなみに私は役者の名は覚えきれませんが、顔は大河の登場人物の名で何とか記憶します・・・。

ただこの「帰蝶」についてもその名は以前記した光秀の奥方の名「煕子」(ひろこ)同様、後付けあるいは創作というのが通説ですね。

 

あの番組について、「奥の墓道氏」に「山県市だってよ」とその前夜に連絡していましたが、城の遺構を紹介したり墓場放浪の番組に非ず、家族某の中に身を投じてその出会いを楽しむ企画だからいくら山県でも私どもの趣向に沿わないだろうと。

さらっと出ても大桑城に登るなどは絶対あり得ないので土岐氏菩提寺か明智光秀伝承の墓くらいだろうと話してその話題からは離れたのでした。

 

すると番組を見て、驚いたのがその「光秀の墓」にその「帰蝶」が出向いたこと。しゃがんで手を合わせていました。

大桑城の名称も出ていました。

「これは絶対仕込んでる」とニヤリとしましたね。

 

この「光秀の墓」は地元伝承ではありますが、彼の地では昔からその件はいたって正当に信じられていることのようです。

スゴイのは山崎の合戦の敗走中に光秀は小栗栖の藪の中で討ち取られたことになっていますが、実はそこで討たれたのは「影武者」だったというもの。ドラマチックです。

そちらから故郷のこちらに辿って秘かに生活を送ったということです。

 

言い伝えとして光秀は当地「中洞」で生まれたといいます。

土岐元頼(基頼)と中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、7歳の時に父が亡くなったことで可児の明智光綱の養子になったとの伝承。

 

山﨑からの敗走、光秀は中洞に落ち延びて名前を変えます。

小栗栖で光秀の代わりに亡くなった荒木行信という人の恩に深く感銘してその「荒」と「深く・・・」から「荒深小五郎」と名乗ったそうです。

 

参道の奥に宝篋印塔と五輪塔らしき石塔がありますが、光秀の墓と伝えられているのは後者の方。

地輪が球体という形式も無くはナイとは思いますが、違和感は残ります。風空輪も後補のようにも?

宝篋印塔も塔身は後補のような(他の部位と比べて摩滅を感じない)気もしないではありませんが、この件詳細不明です。

 

ただし後補はいわゆる修復でもありますがその墓の真偽を判定するところではありません。

気が付くのは墓地の維持に多くの末裔たち「荒深さん」が関わっているところ。

地元で古くから尊敬を集めている様子が受け取れます。

 

まんざらあり得る話でこれは山県市の名所として伸びしろはあるかと。

しかし「新コロ」による観光気分台無しの雰囲気蔓延は痛いですね。場所はこちら

 

こちらへは昨日の四国堀あたりから古城山(大桑城)の東側国道256号線に回り込む必要があります。

武儀川の橋を渡ってトンネルを抜けてスグ右手に入る道があります。注意深く進めば案内板があります。

白山神社が目標になります。

 

地図上は国道の左側にありますが、右に逸れた道はその国道の下に通じています。

そのガードの手前に駐車場が設けられていました。